ヒトラーとスターリンが、独ソ不可侵条約を結んだとき、その式典でこの曲は演奏された。
歴史はいつも、私たちに冷酷な表情を見せる。
ベートーベンの交響曲第9番を想うとき、私は、そのように感じてしまう。
楽聖はきこえない耳を携えて、四苦八苦していた。
ピアノの脚を切り、地面に直接、設置をし、その震動から、波動をもって、ようやく和音を類推しながらも、曲を創ることを止めなかった。
楽聖は、貧困にも悩まされていた。
彼がつくる音楽は新し過ぎたのである。
聴衆をコンサートホールに正座させて、音楽という言語を用いて、楽聖の思想を理会させようとする前代未聞の試みは、失敗続きだった。
それは、
「運命」に対峙する人間の姿を描いても、
「田園」のなかで安らぎを得る人間の姿を描いても、
はたまた、心躍る舞曲を描いても、しらけていた聴衆が、いつものように居た。
楽聖は、世界から拒絶された。
そして、自分ひとりの世界にひきこもった。
「どうせ、世界からは拒絶されている。
世界が私の声に耳を傾けないのならば、
私は、私の声を私自身を表しているかどうか、そこを突き詰めたい」
と楽聖は思ったのではないか、と、私は思う。
ちなみに、ベートーベンという楽聖の傑作かつ難解な作品として名高い後期ピアノソナタや「大フーガ」を代表とする弦楽4重奏がこの時期の素晴らしい作品である。
楽聖は、死期が近いことはうすうすとわかっていた。
そんなとき、交響曲の依頼がきた。
このとき、彼は、自分の全人生を要約するような曲を創ることを考えたのである。
ベートーベンという楽聖の人生はいつ始まったのだろうか?
それはこの世に彼が生まれ出でたとき、では、ない。
それは、作曲家ベートーベンが、作曲家を志したときに始まったはずである。
なぜ、彼は作曲家を志したのだろうか?
それは、作曲をせずにいられぬ程の衝動に身を突き動かされたからである。
彼が、14歳のときにシラーの詩に出会ったときから、それは、始まった。
彼はそのときを想起し、そのときを取り戻すために、回り道を経てきた、と感じたようである。
「喜びよ、全人類よ、共に抱き合おう」
楽聖が、若き日に感じたシラーの熱情が、もはや老いて耳もきこえぬ楽聖の心を、再び燃え上がらせた。
確かに、楽聖を以てしても、
若い頃には、
「生きていること」≒「美しく素晴らしい」ことであったのかもしれない。
しかし、老いて耳もきこえぬときになって、楽聖は
「生きていることは、それがなんであれ、美しく素晴らしいことでならねばならない。
なぜならば、そうせねばならぬからだ。
何がかなしくて、こんな単純なことをわかるために、私は時間を無駄に費やしたのだろうか」
と感じ、
そのような激情は在れども、静かに楽譜を書き進めたのである。
そこには、人間が到達し得る最高かつ至福の喜びがうたわれている。
「喜びよ、全人類よ、共に抱き合おう」
と。
生きていることへの歓喜の爆発であろうか。
悩み苦しみのたうちまわる生そのものを称揚する叫びだろうか。
無分別かもしれないが、これほど無尽蔵な愛の賛歌があることを、私は、嬉しく思う。
今や、歌が喜びを歌うのではない。
喜び、が、歌をうたうのである。
先日ハルくんと
徳島県のドイツ館で
ドイツ人との触れ合いと、
第九を聴きました😊
人はみな平等で
みな大切な同じ命を。
今日一日お疲れ様でした😄
ステキな週末を☆★☆
テル
こんばんは。
読んで下さりありがとうございます。いつもテルさんの温かいブログに感謝です( ^_^)
第9のメッセージ、ハルくん、コトちゃん世代、さらに先まで伝わって欲しいです(*^^*)