三島由紀夫が、『春の雪』のなかで
「この邸のまわりにあるもの、十重二十重に彼女の晩年を遠巻きにやがて押しつぶそうと企んでいる力への、祖母のこんなしっぺ返しの声は、明らかに、あの、今は忘れられた動乱の時代、下獄や死刑も誰も怖れず、生活のすぐかたわらに死と牢獄の匂いが寄せていたあの時代から響いてきていた」
と書いている部分を読むとき、
私は、亡命先のフランスで各死したグラズノフを想い起こす。
なぜならグラズノフの死亡の報に接し、世界は
「グラズノフがまだ生きていた」
ことに驚き、自分たちが勝手に
「とっくの昔に亡くなった」
と思い込んでいたことにも驚いたからである。
グラズノフの音楽は、1936年には、もう過去のものであり、グラズノフは、創作の絶頂期である1904年に書かれたヴァイオリン協奏曲と結びつけられていたようである。
グラズノフと、同時に、想い起こすのは、シュフテン・ツヴァイクは、自殺する直前に『昨日の世界』という回顧録の序文である。
ツヴァイクは、序文のなかで、
「この時代を通って歩んだ、あるいはむしろ駆り立てられ、けしかけられ者は誰でも-実際私たちはほとんど息つく暇もなかった-その祖先の人間が体験した以上の歴史を体験したのである」
と述べている。
実際に、19世紀末から20世紀初頭は、生きにくい時代だったようである。
政治的には、国家主義が台頭し、経済的には資本主義が発達し、マルクスが「人間の疎外」と言い、チャップリンが『モダン・タイムス』で描いたような人間の機械化、商品化が進んだのである。
特に、19世紀に生まれた人々にとっては、この急激な変化は耐え難いものであっただろう。
なぜなら、彼ら/彼女らは、人間が疎外されず、人間らしく生を謳歌できた、いわば「昨日の世界」を、体験していたからである。
「昨日の世界」を体験した者にとって、20世紀は、人間が破壊されてゆく過程である。
「今日の世界」の痛ましさに疲れ果てた人々は、必然的に「昨日の世界」へと郷愁の眼差しを向けずには、いられない。
これは、グラズノフがいたロシアでも、事情は似ていた。
ロシア音楽は、リムスキー・コルサコフらを代表とする「国民音楽派」、つまり、ロシア民謡や、ロシア独特のメロディー、といった、ロシアの土着性に根ざした音楽を中心に発達してきた。
その系譜に連なる最後の代表的作曲家がラフマニノフである。
彼の音楽もまた、母なるロシアの大地、というイメージが溢れている。
しかし、20世紀に入ると、ラフマニノフの音楽ですら、「昨日の世界」になってしまうのである。
革命の嵐が吹き荒れ、労働者による新社会の建設が、始まったのである。
グラズノフの名前は、ラフマニノフに比べて、有名とは、言い難い。
しかし、「昨日の世界」では、グラズノフこそが、ロシア音楽界の重鎮であったのである。
1881年、とある無名の作曲家の交響曲第1番が初演されたとき、そのあまりにも洗練されたスタイル、美しいメロディーに聴衆は熱狂した。
作曲家をひと目見たがる聴衆の前に呼び出されたのは、学生服を着た16歳の少年であった。
神童グラズノフのデビューである。
それからのグラズノフのキャリアは華々しく、書く曲は、ロシアのみならず、西側諸国でも喝采を浴び、その重厚な作風から、「ロシアのブラームス」と称され、やがて、1905年には、ペテルブルク音楽院院長として、後進の指導にあたるようになる。
しかし、時代は激動期に入りつつあった。
ペテルブルク音楽院長に就任した同年、「血の日曜日事件」が発生、戦艦ポチョムキンが暴動を起こすなど、ツァーリ支配は揺らぎ始めていたのである。
革命の機運が、「明日の世界」、つまり、未だ見ぬ新しい世界を目指す熱気が、ロシアを覆い、「昨日の世界」は、忘れ去られようとしていたのである。
そして、ソビエト体制が発足すると、グラズノフの音楽は、過去のものとなった。
新しい時代には新しい音楽が、求められたのである。
時代に取り残されたグラズノフは、アルコール中毒になり、やがてフランスに亡命し、そこで客死し、1936年まで生きていたことに驚かれることとなる。
皆、彼の死によって、束の間、彼と、彼の音楽と、「昨日の世界」を想い出したのではないだろうか。
一時は、世界的名声を浴びながら、グラズノフは歴史から忘れ去られた。
彼の名を、音楽史にとどめているのは、その創作の絶頂期である1904年に書かれた、ヴァイオリン協奏曲、ただ1曲のみによって、といっても、過言ではないだろう。
しかし、物憂げなロシア情緒に溢れ、協奏曲として不可欠な技巧の見せ場にも富み、形式と内容が素晴らしいバランスを保つヴァイオリン協奏曲は正しく傑作であろう。
広大な大地とともに、生き暮らした、ロシアの「昨日の世界」の太陽が沈みゆくときの最後の残照、美しい暮れなずむ夕映えにも似た味わいがある。
そして、それを聴くとき、私は、時代に取り残された天才の悲哀を感じながら、「昨日の世界」、「今日の世界」、「明日の世界」に想いを馳せる。
冒頭にあげた『春の雪』は、くわしくいえば、『豊饒の海第1巻・春の雪』であり、4巻からなる『豊饒の海』のはじめの巻である。
『豊饒の海』おわりの巻である『天人五衰』は、三島由紀夫が自殺する直前に書いた小説なのだが、
三島は『天人五衰』のなかで、
「ゆたかな血が、ゆたかな酩酊を、本人には全く無意識のうちに、湧き立たせていた素晴らしい時期に、時を止めることを怠ったその報いに」
と本多が考えるところがあり、また、私は、グラズノフを想起してしまうのである。
さらに三島は、本多に、
「一分一分、一秒一秒、二度とかえらぬ時を、人々は何という稀薄な生の意識ですり抜けるのだろう」
と考えさせている。
どんなときも、ところも、必ず「昨日の世界」となる。
三島が『豊饒の海』を通じて、表したかったことを、もういちど、探してみよう、
遅い読書感想文の宿題をしよう、と思った。
ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。
明日から、また、数日間、不定期更新となります( ^_^)
また、よろしくお願いいたします(*^^*)
今日も、またまた、まだまだ、暑いですね^_^;
体調管理に気をつけたいですね。
今日も、頑張り過ぎず、頑張りたいですね。
では、また、次回。