昨今(川崎で起きた事件以降)TVや新聞など報道は大騒ぎしたが、解決策を見出せていない。今の日本社会の人間研究が800年前の親鸞より劣るからである。
歎異抄の悪人正機を紐といてみよう。
「善人なをもて 往生をとぐ、いはんや悪人をや」から始まる一説
社会の人は、どうして悪人を救うのかと言うが、悪人こそ救われるべきである。
悪人を救おうとしない社会には事件が起こる。
親鸞は、800年前にこの世捨て人とも呼ばれる人を救おうとしてきた。
自力本願の善人(強い人)には、仏の救いなど必要ない!自力で納めるべし。
他力本願を求める悪人(弱い人)こそ、仏の救いが必要なのである。
社会で悪人と言われる人こそ救わないと、大事件に発展する。
これが現代真宗の“こころ”である。
本当は、何でも自力で出来る強い人こそ「歎異抄」を学ばなければ社会が壊れる。
他力本願の弱い人を研究すべし。
2019年6月19日 現代真宗研究会 高田白道