鼻声も治らないし、時折、ひどく咳き込む。
秋の花粉症だ。
2日はパシフィコ会議センターで読書推進活動の
イベントがあり、私は講演をさせていただいた。
「私と読書」というテーマで話すのだとばかり
思っていたのだが、「読書はミステリアスな旅」(だったかな?)
なんていう、思わせぶりなタイトルを、自分で出していたらしい。
会場へ行ってからそのことを知り、おおいにあわてた。
なんとか取り繕い、途中、咳き込むこともなく終了。
講演のあとは、たいてい後悔と恥ずかしさで哀しくなるのだが
今回も「ミステリー」を期待して来てくださった方を
裏切ってしまった。
よく笑ってくださったあたたかい観客に、心から感謝。
翌日、世間は「文化の日」とかで連休。
まだメランコリーを引きずっている私は、
思いたって母の施設へ。
バスを降りてから上る長い石段。
野の花が目にやさしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/93/c58368d9070ca79675b930ff423bb7ca.jpg)
でもその向こうは鬱蒼たる崖の茂み。
こんな張り紙もある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/da/141b5b2778b1876fb894ea3174baecd5.jpg)
お昼にあわせて行ったので、昼食の介添えをする。
母は完食し、続けて、私が持っていったプリンも
飛びつくようにして食べた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/77/68d2582f3bd45f8233102dee04304d5f.jpg)
ほとんど認知症の人ばかりという食堂の光景を見ていると、
安楽死について考えずにはいられない。
ネットで安楽死宣言をした末期ガンのアメリカ人女性が
予告通り薬を服んで命を絶った。
だけど認知症になってしまうと、その選択肢もない。
そういう状況が、私は怖い。
「どうせ何にもわからなくなってるんだから、怖いわけないでしょ」
と言う人もいるが、「自分が自分でなくなる」という事態を
どうとらえたらいいのか、私にはわからないのだ。
認知症になった人も、亡くなった人も、誰一人として
「それはどういうことなのか」という問いに答えてはくれない。
だから人は、思考能力がある限り、「人間らしく生きるとは」とか
「死ぬこととは」という、堂々巡りみたいな問いから逃れることが出来ない。
宗教というのは、その答えを無理にでも欲しくて、
創りだされたものなのだろうと、私は思う。
帰りのバスを待っていたら「浜駅西口行」というのが来た。
衝動的にそれに乗り、終点で降りて高島屋へ。
華やかな場所へ行って気分を変えないと。
北海道展をやってるというので行ってみたら、まあ、凄い人。
たちまち怖じ気づき、同じフロアで開催中の「バラ展」に飛び込む。
大盛りの海鮮丼より薔薇。
メランコリーな女はこうでなくちゃ……のはずだったのだが
結局、地下の食料品売り場で大きな巻き寿司買って帰っちゃった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/6a/da7c1297da9c652258c6a6ad0777cfb2.jpg)