冬桃ブログ

一年。

 そうか、明日でちょうど一年。
 8月12日の未明にフータが逝ったのだ。
 春から病んで、だんだん食べなくなり、
飲まなくなった。
 医師の指示でむりやり薬や水を口に
押し込んだけど、あんなこと、しないほうが
良かった。
 助からないものなら、苦しみを長引かせたり
するんじゃなかった。

 いまはそんなふうに思うけど、相手が猫でも
人間でも、そんな事態になればなんとか助けようとあがく。
 割り切るのはとても難しい。
 また同じ事態に直面したら、やっぱりあがくだろう。
 自分のことも相手ことも、苦しめながら。

 夜、ベッドに入ると、フータは必ずやってきて、
私の肩の横に座り込んだ。
 朝、目が覚めると、定位置にちゃんとフータがいた。
 その不在に、いまだに慣れることができないでいる。



 膝にもよく乗ってくれた。
 八キロもあったから重くてまいったけど、
のんびりしたその顔が家の中にあると
この上なく安心できたものだ。



 ノア、もちろん、あんたのことも
一緒にいてくれて、ありがたく思ってるよ。
 共に暮らして11年余りもたつのに、
いまだに、近づくと素早く穴ぐらや物陰に
隠れ、「来るな!」の光線を出しまくってるけどね。




 

 

コメント一覧

冬桃
私も……。
おでさん
 安楽死……どんなにお辛かったか、お察しします。
 私も悩みましたよ、そういう事態になるかもと。
 お医者さんに、放射線だの抗がん剤だのという
治療を勧められた際も、激しく悩みました。
 車もない私には、遠い大学病院へ、週に何度も
猫を連れて行くことなど不可能だったのです。
 猫にとっても、病気の体でキャリーに入れられ
て電車やバスで長い時間運ばれるのは酷でしょう。
 さすがにそれはできませんでしたが、やるべきだ
ったのだろうかと苦悩しました。
 命を看取ることは、勇気や信念を試されることか
もしれませんね。
おで
フータちゃんやすらかに
http://odesamaryu.exblog.jp/
一番大切だったニャンが年老いて病を得て最期の晩、「朝までは無理でしょう」と獣医さんに言われ、苦しんでいる姿に耐えられず「安楽死」の道を選んだおでから見れば、最期まで看取る勇気を選ばれた冬桃さんを心から尊敬します。いずれにしろ、どのような選択であっても、帰らぬ命に向けて全責任を持たなくてはならない身にすれば、迷いや後悔があるのは自然なことなのではないか・・・と感じました。愛していたからこそ、の想いです。
フータちゃんの魂が今、自由にたのしく遊んでいることを願いつつ・・・

まだまだ残暑が続きます、冬桃さんはくれぐれもご自愛お忘れなく。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「雑記」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事