家族を含め、他人に自分のしたことや心情を
見られるのが絶対いやだったからだ。
大人になってからも同じだった。
一人暮らしになっても、もし自分が死んだら、
誰かに読まれ「へえ、こんなことを考えてたのか」
なんて思われるのかと思うと、恥ずかしくて
とても書く気になれなかった。
そのくせ物書きになり、生い立ちなんか赤裸々に綴り、
見知らぬ人にまで「さあ、この恥ずかしい日々を
知ってください」とばかりに差しだしているのだから
自分でもその矛盾がさっぱりわからない。
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しかし、ある時から、いつ誰とあったかくらい
メモしておかないと困るようになった。
勤め人ではないから、基本的に一人でいる。
もし殺人事件の容疑者になったらアリバイがない。
(いや、こんな馬鹿なことも考えるのです)
しかも年々、今朝なにを食べたかも思い出せなくなっている。
「〇月✖日の午後三時、おまえはどこにいた!」
なんて聞かれても絶対に答えられない。
(即、答えられる人がいたら、その人物が犯人でしょう)
で、小さい手帳とは別に、日記帳というか、
短いメモを記すノートを、15年前、初めて買った。
一年ごとに買い足すのも面倒だと思い、
10年日記というのにした。
もちろん、もはや高齢に近かったから
10年も生きるだろうか、と迷った。
で、なんとかそれを使い切った10年後、
さすがに10年は図々しいだろうと思い、
5年日記というのを買った。
おかげさまで、それも明日で使い切ることになる。
それにしても2020年は圧倒的に空白が多い。
誰にも会わない、どこへも出ない、という日々。
コロナ禍で、私のアリバイはますます証明できなくなった。
このブログはそのままフェイスブックに載せているが、
そこでFB友達と交わすコメントが、社会とのつながりの
メインになりつつある。
と言いながらも本日、また迷いつつではあるが、新しい5年日記を買った。
ここに書き込むアリバイが、なにかしら生まれてくれるだろうか。
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