最近、なにかといえば「すみませんねえ、トシなもんで」を連発している。
昔から疲れやすい体で、元気な人にはとてもついていけなかった。
肩凝りが15歳の時からひどくて、両肩に鉄板が載っているようだった。
一日も欠かさずその状態だから、人より早く疲れる。頭痛にもなる。
けれど年齢が若いから、その辛さを誰もわかってくれない。
「根性がない」「みんなに迷惑でしょう」と言わることも多く、
夢は早く「年寄り」になることだった。
年寄りになれば、体力や気力がなくても容赦される。
「将来」なんてことに思い悩む必要もなくなる。
念願かなってようやく、大手を振って歩ける(?)年寄りになった。
「すみませんねえ、トシなもんで」を口にするとき、
なんとも言えない快感を覚える。
「そんなことはないでしょ。まだまだお若い。これからですよ」
なんてことを言う人もいる。
お世辞か励ましのつもりだろうが、余計なお世話だ。
ここまでくるのにどれだけ長い年月を経たことか。
まあしかし理想に到達したとはいえ、世の中のほうが変わってしまった。
電車の中では若者や子供が堂々と優先席に座っている。
昔は優先席などというもの自体、なかった。
なくても、たとえば高校生くらいの時だったら、中高年が
前に立っただけで、「どうぞ」と席を譲った。
知らんぷりして座ってるなんて、そんな恥知らずなことは
とてもできなかった。
だから私は60歳になっても、自分より年上だと思われる
人が前に来たら、どんなに疲れていても席を譲った。
まあこれは、思いやりだけではなく、刷り込まれた
「恥の文化」が自分の中にあったとも言える。
で、昨今はどうかと言えば、重い荷物を持って
駅の階段を上がっていようが、疲れ切って電車の中で
立っていようが、若者たちは知らんぷり。
「恥の文化」も「思いやり」もなくなったとしか思えない。
優先席などというものができてからも、
そこに腰掛け、長い足を悠然と組んでいる高校生を見かける。
「足、引っ込めなさいよ! 組むのはマナー違反でしょ!」
と怒鳴りつけてやりたいが、無敵の年齢になったはずなのに
そんな勇気を持てない自分を情けなく思う。
人前で大声を上げるのはみっともない。
これも「恥の文化」にとらわれているせいだろうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/ea/361d832d12e703ce72df9792ad488ffc.jpg)
昔から疲れやすい体で、元気な人にはとてもついていけなかった。
肩凝りが15歳の時からひどくて、両肩に鉄板が載っているようだった。
一日も欠かさずその状態だから、人より早く疲れる。頭痛にもなる。
けれど年齢が若いから、その辛さを誰もわかってくれない。
「根性がない」「みんなに迷惑でしょう」と言わることも多く、
夢は早く「年寄り」になることだった。
年寄りになれば、体力や気力がなくても容赦される。
「将来」なんてことに思い悩む必要もなくなる。
念願かなってようやく、大手を振って歩ける(?)年寄りになった。
「すみませんねえ、トシなもんで」を口にするとき、
なんとも言えない快感を覚える。
「そんなことはないでしょ。まだまだお若い。これからですよ」
なんてことを言う人もいる。
お世辞か励ましのつもりだろうが、余計なお世話だ。
ここまでくるのにどれだけ長い年月を経たことか。
まあしかし理想に到達したとはいえ、世の中のほうが変わってしまった。
電車の中では若者や子供が堂々と優先席に座っている。
昔は優先席などというもの自体、なかった。
なくても、たとえば高校生くらいの時だったら、中高年が
前に立っただけで、「どうぞ」と席を譲った。
知らんぷりして座ってるなんて、そんな恥知らずなことは
とてもできなかった。
だから私は60歳になっても、自分より年上だと思われる
人が前に来たら、どんなに疲れていても席を譲った。
まあこれは、思いやりだけではなく、刷り込まれた
「恥の文化」が自分の中にあったとも言える。
で、昨今はどうかと言えば、重い荷物を持って
駅の階段を上がっていようが、疲れ切って電車の中で
立っていようが、若者たちは知らんぷり。
「恥の文化」も「思いやり」もなくなったとしか思えない。
優先席などというものができてからも、
そこに腰掛け、長い足を悠然と組んでいる高校生を見かける。
「足、引っ込めなさいよ! 組むのはマナー違反でしょ!」
と怒鳴りつけてやりたいが、無敵の年齢になったはずなのに
そんな勇気を持てない自分を情けなく思う。
人前で大声を上げるのはみっともない。
これも「恥の文化」にとらわれているせいだろうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/ea/361d832d12e703ce72df9792ad488ffc.jpg)