母の施設へ行くと、いつも時間を持てあましていた。
会話が成立しないからだ。
たいてい私が一方的に話しかける。
母から返ってくる言葉は「わからない」と「そうね」だけ。
突然、母が喋り出すこともある。でも、何を言ってるのかわからない。
今度は私が、「そうね」「ああ、そうなの」と、わかったふりして
いいかげんな相槌を打つしかない。
あとは車椅子を押して廊下やロビーを散歩したり、
私が抱き人形を相手に喋って、母が時々脇から人形の足を触ったり……。
でも最近になって発見があった。
私が童謡を歌うと、母は必ず一緒に歌い出すのだ。
口跡ははっきりしなくても、母が歌詞をかなり正確に
記憶していることがわかる。
で、このごろは童謡で「四季巡り」をしている。
「雪やこんこ」「雛祭り」「金太郎」「われは海の子」
「赤とんぼ」などを「はい、お母さん、次は夏だからね。暑いよ!」
というような短い喋りを挟みながら二人で歌い続けるのだ。
これはなかなか楽しい。
「童謡・四季巡り」は毎回「お正月」から始まる。
タイトルは正月だが、これは「もういくつ寝ると、お正月」
という歌詞から始まるので、師走の歌だ。
お正月には凧あげて こまを回して遊びましょ
という男の子の遊びが一番にあり、二番は女の子の遊び。
お正月には鞠ついて 追い羽根ついて遊びましょ
ああ、懐かしい。私の子どもの頃は、ほんとにそうだった。
いまは子供の遊びから季節性が失われてしまったが、凧、
羽根つき、カルタ取り、福笑いなんか、お正月にならないと
やってはいけないという暗黙のルールがあった。
だからお正月が待ち遠しかったのだ。
こまは大人の男性の間で流行ってるというニュースを
昨年あたり見たが、凧あげはいまも子供の遊びなのだろうか。
都会ではなかなか適当な場所が見つからないだろう。
この歌を聴いて、「昔はお正月に蛸の唐揚げを食べたのか」
などと思う子がいるかもしれない。
羽根つきや鞠つきをしている子供も、近所では見たことがない。
昔は「手鞠歌」というものがあり、それを歌いながら
鞠をついたものだが、さてどんな歌だったか、というと
思い出すのはひとつだけ。
いわゆる「しりとり歌」だった。
「すずめ めじろ ろしあ」で始まるのだが、次に来る言葉は
「やばんこく くろぱときん」である。
もしかすると日露戦争の頃にできた歌ではないだろうか。
戦後生まれの私が、それを子どもの頃歌っていたのだから、
あの頃は歌の寿命が長かったのだろう。
で、歌詞はそのあとも続くのだが、ここにも書けないような言葉ばかり。
「くろぱときん」のあとはこうなる。
「○○○○○ 負けて逃げるは○○○○○○○○ 棒で叩くは
○○○○○ シベリア鉄道遠けれど どんちゃんどんちゃん
三味線屋」
この「○」の部分は、テレビなどでは絶対に言えない差別用語が入る。
最後の「三味線屋」もひょっとしたら、いまは問題になるのかな?
その頃は「差別用語」という言葉さえなかったから、子供が意味もわからず
無邪気に歌っていたのである。
さすがにこれは思い出すだけで、母と一緒に歌ったりはしない。
母の時代はどんな遊びがあったのか、昔、もっと聞いておけば良かった。
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