冬桃ブログ

遊行期のしあわせ

 ワクチンを打てとか打つなとか(私は打ったけど)
オリ・パラとか(放映されたらそりゃ観ます)、
大谷翔平とか(この人がいなかったら、いやなニュースばかり)、
世間はかますびしいが、私の時間は申し訳ないほど
ゆったりと流れていく。
 

 古代インドの思想では、人生を四つの時期に分けるという。

(1)学生期(がくしょうき)子供~青年期。体をつくり、
     将来のための知識を得て、視野を広げる時期。
(2)家住期(かじゅうき)大人として社会の一員となり、家族を養う時期。
(3)林住期(りんじゅうき)家族とも分かれ、これまでとは異なる、
     自分のための生き方をする時期。
(4)遊行期(ゆぎょうき)これまでの人生で得た知識などを
     すべて社会に返し、死に向かって歩む時。

 生まれた環境や自己の能力などで、中身はそれぞれ異なるだろうが、
まあこんな具合らしい。
 私の場合、学生期は大人の事情に振り回されっぱなしで、
視野は狭いまま、たいして勉強もできなかった。
 家住期は社会に出て家庭を持ったものの学生期のトラウマが
吹き出し、大混乱をきたした。
 それでもなんとか仕事を得て、ひたすら働いた。
 最後は癌になった夫の介護と自分の病気でへとへとになった。
 ちょうど50代に入ろうとする時だった。
 多くの仕事を失い、夫にも先立たれ、
空っぽの状態で終えた家住期だった。

 しかし空っぽになったがゆえに、林住期に入ると、
これまでとは違う仕事や人間関係が思いがけず始まった。
 ノンフィクション、小説の書下ろし、舞台の脚本・演出、
ラジオのパーソナリティー、テレビのコメンテーター、
そして仕事とは関係ない市民活動や勉強、旅行など。
 名刺交換から入らない人間関係も、この時期からだった。

 まあしかし、年月はそれからも容赦なく流れ、
気が付けば70代。まさしく「遊行期」に入っていた。
 60代には経済的なことや健康面も含めて、
「老後」はどうなるのだろうと怯えていた。
 が、老後というのは「遊行期」だと知ったとたん、
不安は少しずつ薄れていった。
 コロナ禍で、仕事や人間関係がぷつりと切れたりもしてたが、
そうでなくても「遊行期」なんだから、それはあたりまえだろう。
 
 古代インドでは「遊行期」が聖人や隠者になる時期でも
あったようだが、それは無理かな、私には。
 喜怒哀楽は相変わらずで、枯淡の境地にはほど遠い。
 好奇心もさほど薄れてはいないようだ。
 ただ、これまでと違うのは、見聞きしたり学んだりしたことを
何かに使おうとは思わないこと。
 すぐに忘れてもかまわない。
 「知る」ことを、いま楽しむだけで良いのだから。

 さて、今朝もアゲハ蝶が二頭、羽化した。
 今年は春から二十頭くらい、うちの狭いベランダの山椒に
卵が産みつけられ、幼虫が育った。
 終齢幼虫がサナギになる段階で昆虫ボックスに隔離し、
ミステリアスな羽化を楽しませてもらっている。
 脱皮に失敗したり、羽化したものの翅が不完全だったりして
亡くなったり飛べなかったりした者もいる。
 でも多くがちゃんと飛び立っていった。





 生きてるうちは、「生き物」をたくさん見て
その「不思議」に胸をときめかせていたいと思う。


 

 
 
 
    

コメント一覧

yokohamaneko
Unknownさん
 なんとまた、お忙しい人生ですねえ。
 ドラマチックなエピソードがいろいろありそう。
 それで、実際のいまは何期なのでしょう。
Unknown
学生期、家住期、林住期、遊行期ですか、知りませんでした。
なんだか昔から自分は、4つが同時だったような気が…
忙しいなぁ…
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