大雨の夜、母が亡くなった。
母の施設は二月と三月、インフルエンザ警戒で
面会謝絶だったのだが、その二ヶ月間で様子が変わった。
ピューレ状にした食事を完食するのが常だったが
唇にスプーンを当てても、口を開けたり開けなかったり。
目も閉じていて、時々、思いだしたように開けるだけ。
そして一週間後には、その「時々」もなくなった。
医師の面談があったのは死の当日。
入院させて積極的な治療を望むかどうかと。
母は89才。もう八年間も、認知症で
施設のお世話になっている。
その半分は寝たきりだった。
いま亡くなったら死因はなにになりますか、
と医師に尋ねると「老衰です」とのこと。
ならばこれ以上の治療はけっこうです、
と、書類にサインをした。
その後、1時間近くらい、母の喉仏が規則正しく
上下するのをただ眺めていた。
口が空洞のように開きっぱなし。
夫も弟も、最後はこうだった。
その日は帰宅し、早朝の呼び出しを予測して
十時にベッドに入った。
寝室のテレビをつける。
報道ステーションが始まって間もなく
携帯が鳴った。
呼吸停止とのこと。
大急ぎで着替えながら、昨年、夫(私の弟)を
亡くしたばかりの義妹に電話を掛けて尋ねた。
「どの時点で葬儀屋さんに電話すればいいの?」
私は社会常識にうといのだ。
なるべく早く、と言う返事だったので、
大雨の中、なんとかつかまえたタクシーの中から
葬儀屋さんに電話。
施設に到着してからは、医師を待って
死亡診断書を貰ったり、葬儀屋さんと打ち合わせをしたり。
施設に入所していたおかげで、母に関しては
介護のたいへんさもなかった。
葬式も義妹と二人っきりでと決めていたので
その日を待つばかり。
真夜中にタクシーで帰宅し、お酒と睡眠誘導剤で眠った。
翌日、母の写真に向かって愚痴る。
お母さん、泣けないよ、わたし。
あなたに言いたいこと、あなたから聞きたい言葉、
ずっとそれを抱えていたのに、私のトラウマにだったのに、
あなたは認知症という鎧をまとい
そのまんま逝ってしまった。
狡いじゃない! 私、もう死ぬまで
情けないアダルト・チルドレンだよ。
あなたの一言で解決できたというのに、
すっとぼけたままでさ、ちょっと酷すぎない?
また一夜明けた、
久しぶりに美容院へ行くために出かけた。
風の中を歩いていると、なにかが頬にぶつかった。
え? と振り向くと、黒と黄色の揚羽蝶だった。
今年、初めて見る蝶。
強風の中を飛んでいく蝶を見送りながら、
「揚羽蝶は死者の化身」という言い伝えを思いだした。
もしかして、お母さん?
子どもみたいに文句を言う私に、
「よくわかってるから、あんたの気持は」
と、頬を撫でてくれたのだろうか。
そう思ったとたん、気持がすっと軽くなった。
冬眠状態から目覚め、餌に群がるメダカ。
ナガミヒナゲシ。生態系を乱す外来種らしいが、
緑の少ない我が家のあたりにも春を告げてくれる。
母の施設は二月と三月、インフルエンザ警戒で
面会謝絶だったのだが、その二ヶ月間で様子が変わった。
ピューレ状にした食事を完食するのが常だったが
唇にスプーンを当てても、口を開けたり開けなかったり。
目も閉じていて、時々、思いだしたように開けるだけ。
そして一週間後には、その「時々」もなくなった。
医師の面談があったのは死の当日。
入院させて積極的な治療を望むかどうかと。
母は89才。もう八年間も、認知症で
施設のお世話になっている。
その半分は寝たきりだった。
いま亡くなったら死因はなにになりますか、
と医師に尋ねると「老衰です」とのこと。
ならばこれ以上の治療はけっこうです、
と、書類にサインをした。
その後、1時間近くらい、母の喉仏が規則正しく
上下するのをただ眺めていた。
口が空洞のように開きっぱなし。
夫も弟も、最後はこうだった。
その日は帰宅し、早朝の呼び出しを予測して
十時にベッドに入った。
寝室のテレビをつける。
報道ステーションが始まって間もなく
携帯が鳴った。
呼吸停止とのこと。
大急ぎで着替えながら、昨年、夫(私の弟)を
亡くしたばかりの義妹に電話を掛けて尋ねた。
「どの時点で葬儀屋さんに電話すればいいの?」
私は社会常識にうといのだ。
なるべく早く、と言う返事だったので、
大雨の中、なんとかつかまえたタクシーの中から
葬儀屋さんに電話。
施設に到着してからは、医師を待って
死亡診断書を貰ったり、葬儀屋さんと打ち合わせをしたり。
施設に入所していたおかげで、母に関しては
介護のたいへんさもなかった。
葬式も義妹と二人っきりでと決めていたので
その日を待つばかり。
真夜中にタクシーで帰宅し、お酒と睡眠誘導剤で眠った。
翌日、母の写真に向かって愚痴る。
お母さん、泣けないよ、わたし。
あなたに言いたいこと、あなたから聞きたい言葉、
ずっとそれを抱えていたのに、私のトラウマにだったのに、
あなたは認知症という鎧をまとい
そのまんま逝ってしまった。
狡いじゃない! 私、もう死ぬまで
情けないアダルト・チルドレンだよ。
あなたの一言で解決できたというのに、
すっとぼけたままでさ、ちょっと酷すぎない?
また一夜明けた、
久しぶりに美容院へ行くために出かけた。
風の中を歩いていると、なにかが頬にぶつかった。
え? と振り向くと、黒と黄色の揚羽蝶だった。
今年、初めて見る蝶。
強風の中を飛んでいく蝶を見送りながら、
「揚羽蝶は死者の化身」という言い伝えを思いだした。
もしかして、お母さん?
子どもみたいに文句を言う私に、
「よくわかってるから、あんたの気持は」
と、頬を撫でてくれたのだろうか。
そう思ったとたん、気持がすっと軽くなった。
冬眠状態から目覚め、餌に群がるメダカ。
ナガミヒナゲシ。生態系を乱す外来種らしいが、
緑の少ない我が家のあたりにも春を告げてくれる。