冬桃ブログ

カンボジアの旅 その2

 アロマ・マッサージで元気を回復した後は、アンコール・トムへ。
 もう夕方近いというのに、外へ出るとたちまち汗が吹き出す。

 アンコール・トムは「大きな都」という意味だそうだ。
 建造はやはり12世紀~13世紀初め。都というだけあって、
昔はこの中に王宮をはじめとする建物がいろいろあったらしい。
 しかしそれらは木造だったため、年月と共に土と化してしまった。

 門へと向かう橋の欄干は、大蛇を引っ張る阿修羅の群れ。


 これはヒンドゥー教における「乳海攪拌」という天地創造神話を表したものだ。
 不老不死の薬「アムリタ」を得るため、巨大な亀(ヴィシュヌ神の化身)を
海に浮かべ、亀の上に大マンダラ山を乗せ、そこに大蛇ナーガをからませる。
 そうして蛇を双方から引っ張ることで海を攪拌する。
 1000年もの間、攪拌が続き、ようやくアムリタが手に入った……という
お話。千変万化の物語はそこからも延々と続くのだが、ともかくこの
「乳海攪拌」はアンコール遺跡のいたるところに彫刻やレリーフとして登場する。

門を入る。


 アンコールの獅子は、みな、お尻をプリッと突き出している。


 遺跡の中心は須弥山を模したバイヨン寺院。塔の四面に巨大な
観世音菩薩の顔が浮き彫りになっている。


 階段をえっこらさと登り、まじまじと拝顔する。


 ひとつひとつ微妙に異なっており、とても美しい。
 自分の好きな顔を見つけ、ぼうっと眺めているのもいいものだ。
 高いところは風が吹き抜け、いつまでも坐っていたくなる。

 水をたたえたお堀


 しかし美しい遺跡の中にもカンボジアの現実がある。
 観光客に群がる子供の物売り達。
 「いちドル! いちドル!」と声を上げながら、絵葉書、腕輪、
笛などをかざす。
 ガイドさんに尋ねてみると、この子達は警察の許可を得て
ここで物を売っているとのこと。当然、かなりの割合で売り上げを
警察に渡すのだろう。
 学校へは行ってるのだろうか。
 ともかく、絵葉書を幾つか買った。そうするうちに百円玉を
握りしめた子が二人駆け寄ってきて、これを一ドルで買ってくれと言う。
「一ドルで売ると損になるよ。持ってたほうがいいよ」
 と言ってみるが、持ってたところで、こんな細かいお金、この子達には
両替のチャンスもないだろう。
 少々、申し訳ない気もしたが、それぞれ一ドルに換えてあげた。
 あとでわかったことだが、これは同じツアーの人があげたお金だった。
 子供達の差し出す物を買ってたら一ドル札が無くなってしまい、
仕方がないから百円玉をあげたのだ。
 子供は喜んでそれを受け取り、その足で別の人のところへ行き、
一ドルに換えたというわけ。慣れてるというか、さすが!
 なにも持たず、拝むようにして一ドルをねだってきた子もいる。
 めぐんであげるという行為はよくないのかもしれないが、
この子達がいま食べていくためには、これが必要なのだ。
 学校へいけない子供達もまだたくさんいるという現状を
セタリンからも聞いている。



 ガイドさんは「日本の60年前」と言ったが、60年前の日本には
もう物乞いをする子供はいなかったのではないか。
 終戦直後には、空襲を受けた町に浮浪児が溢れたそうだが、私が物心
ついた頃は違っていた。
 東京、横浜のような都会ではまた事情が違ったかもしれないが、
私の生まれ育った関西の町では、貧しさ故に小学校にも行ってないという
子供はいなかったように思う。
 貧しいといえば、あの頃はまだ日本全体が貧しかったのだが、
「豊かな状態」を知らなかったので、貧しさが気にならなかったのだ。
 川も山も海もある環境の中で、私も着たきり、裸足で駆け回っていたものだ。
 カンボジアの教育問題についてはこの旅の大きなテーマだったので
その後もいろいろ考えることになった。

 夜は夕飯の後、ナイトマーケットを覗いた。
 イルミネーションが飾られた川沿いに、土産物店などがかたまってある。
 川に浮かぶのは灯籠。


 ツアーの人達はあれこれ買っていたが、私はいつも、また別の
機会に買えばいいと思って機会を逃してしまう。



 店のある一角の中庭で民族舞踊をやっていた。
 子供達が熱心に見入っている。
 カンボジアは五回目だという添乗員のO氏が感動してらした。
「前はこういうものを、一般の人が演じたり観たりする機会も
なかったんですよ。カンボジアは確実に変わりつつあるんですね。
なんだか感無量です」

 レストランのテラスでやっていた伝統の影絵。


 裏で人形をあやつり、台詞を言っているのは子供達。


 ポル・ポト時代に失われた伝統が、こうして甦りつつある。
 これから育っていく世代が、それを受け継いでいる。

 

 

コメント一覧

Unknown
洋子さん凄くいい記事といい写真を拝見しました。
また是非遊びに来てください。
冬桃
日本語です
http://members2.jcom.home.ne.jp/noa411/
酔華さん

 そうです。日本語です。日本人だとわかるんですね。
 韓国からもたくさんの観光客が来るようです
が(直行便がありますからね)、おそらく子供
達はちゃんと見分け、韓国語で声をかけるのだ
と思います。

 お神楽は観たかなあ。子供の頃の記憶にある
のは、旅芝居とサーカスでしょうか。
 カンボジアの方達の、いまも続く危機感を耳
にするたびに、私も、つくづく自分は平和な国
に生まれ育ったのだと思いました。
 
酔華
子ども
元気でお帰りの様子、よかったです。

>「いちドル! いちドル!」と声を上げながら
って、彼らは日本語で声をかけているのですか!?
日本人が相当行っているんでしょうかね。

民族舞踊を観ている子どもたちの姿に、
数十年前の自分が重なってきます。
この年頃の時代に、神社の境内でやっていたお神楽なんかを観ていたものです。
私たちの頃は平和な時代でしたが…
冬桃
危険
http://members2.jcom.home.ne.jp/noa411/
さちこさん

 そうでしたか。身近な人の安否が気になるの
は当然ですが、帰らなくてよかったかもしれませんね。
 命の危険があったと思います。
 先生はそれをわかってて止めたのかもしれませんね。
さちこ
失礼しました
日本での話です。
大学生の時に起こった事で、彼は日本の自分の住まいか
勤め先から国際電話で、国のご家族の安否を
確認したくて、事態も把握したくて
居ても立ってもいられなかったのです。

翌日には連絡が取れたようなのですが…

冬桃
アンコール遺跡
http://members2.jcom.home.ne.jp/noa411/
MeiF.さん

 それはまた、ずいぶんと変わったのですねえ。
 お堀に水がなかったのですか。
 いまも各国が修復にあたっているのは同じです。
 蝙蝠の糞は相当ひどかったらしく、天井がネットで覆われてました。
 子供達が売る物も変わったのですね。飲料水
売りは見ませんでした。
 どこでも絵葉書、自家製の笛、女性はショールといったところです。
 セタリンはこういう状況をなんとかしなけれ
ばと、児童館をつくって一生懸命やってます。
 でも政府に批判的とみなされて選挙権もないそうです。
 またいつ、もとの状況に戻るか……という危
惧を何人かの人から聞かされました。
 注意深く見守っていきたいです。
 
冬桃
暴動時
http://members2.jcom.home.ne.jp/noa411/
さちこさん

 ん? 彼はその時、日本にいてゼミを受けて
らしたのですか? それともカンボジアにいら
した時の話?
 当時の出来事については、セタリンや妹の
ポンナレットさんの本を読むだけだったのです
が、帰国してから急いでカンボジア関連の本を
アマゾンで注文しました。
 ほんとに、平和な日本で生まれ育つと、話に
聞いただけでは想像もできません。
 でもこれは現実に起きたことであり、いまも
世界の他の地域で起きているのこと。
 それをちゃんと頭に置いておきたいです。
Mei F.(福田)
懐かしいです
ご無沙汰しております。

カンボジア、というかアンコールワット、懐かしいです。
あの時、身軽に階段を上り下りしていた娘が、もう27歳ですものね。
でも、写真を見ていると、私が行ったころとずいぶん違っているのに気付きます。何しろ、まだ国連統治機構がいた時期、ようやく観光客が来るようになった時期でしたから。
当時、アンコールワットの堀には、水がなく、ほぼ空堀でした。
階段には手すりもなかったし、立ち入り禁止の場所もありませんでした。
ユネスコにより、各国がエリアを分けて、修復に乗り出していました。
蝙蝠の糞のにおいがきつかったのを憶えています。その糞で、遺跡がやられるので、急いで壁面を洗浄しなければ、というような状態でした。
物売りの子供たちが大勢いたのは同じ。水の入ったバケツに、飲み物の瓶や缶をたくさん入れて、私達にまとわりついてくる。ほんの幼い子供が、重いバケツを持って、必死についてくる姿に心が痛みましたが、私は一切買いませんでした。
そうそう、お名前の出ているセタリンさんが、NHKの「ゆく年来る年」のクルーと一緒にいて、アンコールワットでばったり。「こんなところで何しているの」とお互いにびっくりしたものです(クルーの中にも知り合いが何人かいました)。
それにしても、日々変わっていくカンボジアではありますが、原風景に変わりはないんだなあ・・・。
さちこ
カンボジア
学生時代の友人がご夫婦で、カンボジアから
帰化されました。
お嬢さんが2人いらっしゃるのですが、
とても教育熱心です。過去の影響もあるかもしれませんね。

学生の頃に、暴動が起きて、彼は気を揉みながら、
ゼミの先生に、帰りたい旨を伝えたそうです。
先生は却下され、彼は授業を受けた後帰宅して身内の
安否を確認したのだそうです。
その場に居合わせたであろう、他のゼミ生は
どう思っていたのだろう?そんなにゼミの
方が大事だろうか?と今でもふと思う事があります。


平和な環境で育っているが故の感覚の違いなのでしょうか??
うまく言えないですが、上の状態に慣れたくないなあと思います。
冬桃
アユタヤ
http://members2.jcom.home.ne.jp/noa411/
&Oさん

 アユタヤの文化も、もとはカンボジアから伝
わったものだそうですよ。
 通訳さんからそう聞きました。
 地続きなんですから、いろんなものが共通してて当然ですね。
 それにしても観世音菩薩の顔をはじめとする
レリーフは素晴らしいものでした。
 涼しい時にゆっくり観たい……と言っても、
暑いんですよね、一年中。
&O
http://www.ando-kobo.jp/b/
カンボジアの日記、感慨深く読ませていただいております。

以前アユタヤに行った事はあるのですが、同じ遺跡といっても、その後の政治状況が違うとまったく違う見方も出てくるのですね。

しかし観音様ですか、見事ですね。
子供の写真も良いですね。
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