「昭和の日に思う」 川端 徹
昭和の日に高野山奥の院昭和殉難法務死慰霊碑前で年次法要が執り行われています。
終戦直後謂れなき罪を被せられ英霊となられた将兵や軍属の御霊の安らぎと、彼らの声を語り 継ぐべく昭和殉難者法務死追悼法要として執り行なわれています。
所謂東京裁判やその他各国での同様裁判で戦犯とされ、千名を超える方々が処刑されました。 新聞テレビ等では全くと言ってよい程報じられないため、近現代史に興味ある方々でもご存じで
ない方が多いようです。と言う私も十年ほど前までその法務死という言葉すら知りませんでした。
この上ない不条理を受け入れ、収容中に日本人として崇高なる精神に昇華され従容し英霊となられました。巢鴨遺書編纂会編集「世紀の遺書」には七百篇を超える遺書や遺稿が掲載されています。
恨み節も極僅かありますが、ほとんどは自身の潔白を叫び、肉親の恩愛に哭き、死を探求し つつ祖国はもちろん敵国も含めた世界平和を祈っています。敵国の収容所刑務官等に感謝の意を
述べている手記も多数あります。私たちは法務死された英霊から日本人としての真価を教えられることにより、自信と誇りを取り戻すことが出来るのではないでしょうか。世界平和実現の為、
日本人だけではなく世界の人々必読の書と存じます。
本間雅晴中将はフィリッピンマニラで昭和二十二年四月三日、丁度バターン第二次攻撃日の五周年記念日に、処刑されました。初めから死刑判決は決定されていたような裁判でありましたが
本間中将の人格及び、同富士子夫人の堂々たる法廷証言等で六人の敵国人弁護士も日本人では成し得ぬような法廷闘争を誠心誠意努めました。それに対し本間中将は深い感謝の言葉を述べています。
執行前、本間中将はビールとサンドイッチ、さらにビフテキ、食後のコーヒーまで所望して平らげました。柱に固縛され、銃殺隊長の「用意」の声が響くと、中将は大声で叫びました。
「さあ、来いッ!」
胸部を貫いた命中弾は六発。中将の身体は、絶命後もなおその流血の胸をはったまま、動かな かったそうです。
辞世の句 (五首あるうちの一首)
甦る 皇御國(すめらみくに)の 祭壇に 生贄として 命捧げむ
本間中将の夫人、富士子夫人が軍事法廷に証人として出廷した際の発言です。「わたしは今なお本間の妻たることを誇りにしています。わたしは夫、本間に感謝しています。
娘も本間のような男に嫁がせたいと思っています。息子には、日本の忠臣であるお父さんのような人になれと教えます。わたしが、本間に関して証言することは、ただそれだけです‥‥」と陳述、
その毅然とした姿に裁判官も検事も感動の涙を流したといわれています。
益荒男、大和撫子ここにあり
私は元より、巷ではより良き生き方生き様を求める人々がほとんどですが死に方、死に様(流行りの一般的な終活とは違う)は子供や後世にとって非常に影響力が大きいと思われます。
私が子供や後世に何を残せるかを自問しています。自身を奮い立たせるために映画「海賊と呼ばれた男」の台詞「熱が足りんのよ!熱が!」を胸に刻み微力ながら道義国家再建に尽力いたします。

昭和の日に高野山奥の院昭和殉難法務死慰霊碑前で年次法要が執り行われています。
終戦直後謂れなき罪を被せられ英霊となられた将兵や軍属の御霊の安らぎと、彼らの声を語り 継ぐべく昭和殉難者法務死追悼法要として執り行なわれています。
所謂東京裁判やその他各国での同様裁判で戦犯とされ、千名を超える方々が処刑されました。 新聞テレビ等では全くと言ってよい程報じられないため、近現代史に興味ある方々でもご存じで
ない方が多いようです。と言う私も十年ほど前までその法務死という言葉すら知りませんでした。
この上ない不条理を受け入れ、収容中に日本人として崇高なる精神に昇華され従容し英霊となられました。巢鴨遺書編纂会編集「世紀の遺書」には七百篇を超える遺書や遺稿が掲載されています。
恨み節も極僅かありますが、ほとんどは自身の潔白を叫び、肉親の恩愛に哭き、死を探求し つつ祖国はもちろん敵国も含めた世界平和を祈っています。敵国の収容所刑務官等に感謝の意を
述べている手記も多数あります。私たちは法務死された英霊から日本人としての真価を教えられることにより、自信と誇りを取り戻すことが出来るのではないでしょうか。世界平和実現の為、
日本人だけではなく世界の人々必読の書と存じます。
本間雅晴中将はフィリッピンマニラで昭和二十二年四月三日、丁度バターン第二次攻撃日の五周年記念日に、処刑されました。初めから死刑判決は決定されていたような裁判でありましたが
本間中将の人格及び、同富士子夫人の堂々たる法廷証言等で六人の敵国人弁護士も日本人では成し得ぬような法廷闘争を誠心誠意努めました。それに対し本間中将は深い感謝の言葉を述べています。
執行前、本間中将はビールとサンドイッチ、さらにビフテキ、食後のコーヒーまで所望して平らげました。柱に固縛され、銃殺隊長の「用意」の声が響くと、中将は大声で叫びました。
「さあ、来いッ!」
胸部を貫いた命中弾は六発。中将の身体は、絶命後もなおその流血の胸をはったまま、動かな かったそうです。
辞世の句 (五首あるうちの一首)
甦る 皇御國(すめらみくに)の 祭壇に 生贄として 命捧げむ
本間中将の夫人、富士子夫人が軍事法廷に証人として出廷した際の発言です。「わたしは今なお本間の妻たることを誇りにしています。わたしは夫、本間に感謝しています。
娘も本間のような男に嫁がせたいと思っています。息子には、日本の忠臣であるお父さんのような人になれと教えます。わたしが、本間に関して証言することは、ただそれだけです‥‥」と陳述、
その毅然とした姿に裁判官も検事も感動の涙を流したといわれています。
益荒男、大和撫子ここにあり
私は元より、巷ではより良き生き方生き様を求める人々がほとんどですが死に方、死に様(流行りの一般的な終活とは違う)は子供や後世にとって非常に影響力が大きいと思われます。
私が子供や後世に何を残せるかを自問しています。自身を奮い立たせるために映画「海賊と呼ばれた男」の台詞「熱が足りんのよ!熱が!」を胸に刻み微力ながら道義国家再建に尽力いたします。

※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます