陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

日曜写真館 二枚目「樹のいろアヴェニュー」

2008-06-08 | 芸術・文化・科学・歴史



公園に必要なもの。
ベンチ、噴水、きれいに舗装された道路。夜道を照らす街灯。うつくしい花々。
でもやっぱり樹が好きです。

翠の時節、梅雨のちから強い雨をうけてもへこたれず青々とした葉をひろげていく樹木がみたくて、公園を自転車で疾走してきました。

この一枚は本日昼ごろ、撮影したフォトを元にしています。手前の木の枝に鳩がとまっていたのが印象的でした。鳩って喉をくるくる鳴らしながら地をぺたぺた歩いて、急に思い立ったように飛び立つというイメージがあったので。高所、それも梢で休んでいるっていうのが斬新に思えたのです。
残念ながら私のカメラはズーム機能がなく、その瞬間をアップでとらえることがかないませんでした。

夕方は、もうひとつ別のおおきな公園に出かけて撮影しました。
が、陽が暮れかけてあまりいいものが撮れませんでした。
その公園のほうが緑がおおくて樹の湿った匂いが爽やかでお気に入りなんです。なかに博物館があって、二年前に来阪してきた郷里の友人といっしょに出かけました。
それ以来足を運んでいなかったので、うっかり道を忘れそうになっていました。地図の読めない女なので、帰りもおもいっきり迷いました(汗)

地方自治体がここ数年の都市計画で新設された公園はたしかに舗装などすごくきれいで、センスがいいのですが、植えられている樹木がまだ若くていかにも頼りない翠なのです。
公園というよりも森といった感じの場所がむしろ好きです。個人のお宅のいかにも凝ったガーデニングのように鮮やかに花を活けられているのもよいけれど。なるべく天然にしっかり育って木蔭をつくってくれる大きな樹が好きです。匂いからして違う。落葉の有機的な匂いがするのです。夏の青い葉っぱをひろげた樹の根元には、まだ秋の気配が残っているのです。梅雨の雨をふくんで重なったまま風にはこばれない落葉は、そこで土に還るのを待つのみ。足裏にふみごこちのいいクッションになってくれるので、歩くのも気持ちがいいのです。

この樹の並木道を通るときにたいていいい思いつきをすることがあります。ですからこの公園を通るときはかならずこのルートを選んでいるのです。もう一本の道にはそれに沿ってベンチがあって、たいてい陣取られているからです。

やたらとモニュメントやら何やらでこぎれいにデザインされた公園よりも、とりたてて飾るものがないけれど、翠だけはふんだんに生きている公園が私は大好きなんです。



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2 Comments

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おはようございます。 (まっつん)
2008-06-08 08:25:50
万葉樹さん、凄いじゃないですか。

絵画タッチの加工、そんなのも出来るんですね。

>やたらとモニュメントやら何やらでこぎれいにデザインされた公園よりも、とりたてて飾るものがないけれど、翠だけはふんだんに生きている公園が私は大好きなんです。

同感です。
樹自体が生き生きとしてたら何も要りません。
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ありきたりだけどホッとする樹の風景 (万葉樹)
2008-06-08 10:22:16
ごきげんよう、まっつん様。
コメントありがとうございます。

加工はソフトさえあれば、簡単にできるものです。
ネット上でも無料で加工をほどこせるサイトもありました。
周囲をぼかすのは、PowerPoint2007でもできるみたいですね。パワポ苦手なので一度しか触ったことないですが(苦笑)
デジカメ内蔵機能でも、できるのかもしれません。

ただ誰でも加工できるということは、それだけ代わり映えしないものが、できあがるということですね。
よくCG画像をみますが、加工の手段のほうが先に読めてしまって感動がうすれてしまうことがままあります。
きっと、この画像もプロのフォトグラファーからしたら、ひじょうにちゃちぃ(「つまらない」の意)シロモノなんでしょう。

ほんとうは本文の主題である翠の多いほうの公園の画像を載せたかったのですが。撮影したものが闇につつまれすぎていて無理でした。あと、樹の種類が混侑していてまとまりがなく、カメラに収めようがありません。

この画像は道に沿った樹の並び具合がよく、安定した遠近感をもたせています。オーソドックスな構図でおもしろみはありませんが、自分としては眺めてほっとするシーンをつくりたかったので、そうしました。

加工じゃなくて、イチからドローソフトでこういった挿絵がササッと描ける方がうらやましいです。

>樹自体が生き生きとしてたら何も要りません。

そうですね。花の咲く樹だとうっかりきれいな花弁にみとれてしまって気づかないようなことが樹ではみえてきます。小さな虫が這っていたり、古い葉が隠れていたり。意外とふしぎな実がなっていたり。しっかりした大木だと思っていても、風雪をうけて樹皮がいたんでいたり。

樹木をスケールの大きなものとしてつき放して見ているのも、いってみれば景観をよくするモニュメント感覚でながめている証拠。木材という二次製品への嗜好からくる愛着なのでしょうか。
風景を画像のあつまりとしてとらえようとする意識に、自然な奥行きのなかでみごとに生きている樹が、なにがしかの警告をあたえてくれるように思えてなりません。

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