陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

日本映画「歩いても 歩いても」

2014-06-14 | 映画──社会派・青春・恋愛
連休中ですので、日常からはなれた明るく、テンポの良いストーリーを観たい、読みたい、と思って選んでみた映画だったのですが、なんというか重みのあるお話だったといえたのが、2008年の邦画「歩いても 歩いても」。日本人のどこかにありそうな家族を主題としながらも、異常性と狂気の底に落ちそうになる一歩手前の、三世帯三家族、いや正確にいえばそれ以上の家族をも孕んだ、危うい日常を丹念に描き出した良作と言えます。ウケを狙って凝り過ぎずに作りこんでいないところに、絶妙な主張がありますよね。言わぬが華の美学と申しましょうか。

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東京に暮らす横山良多はひさびさに妻子を伴って、両親のもとを訪れる。
地元の町医者として気位の高い父親の恭平と、家を切り盛りする働き者の母親とし子。そして、姉のちなみも夫と二児を連れて帰省中。次男坊で絵画修復といううだつの上がらない職業をしている良多には、実家は身の置きどころの無い場所。さらに、一家の集まったその日は、十五年前に亡くなった長男の命日で…。

両親の期待をかけられた優秀な兄と、比較されていく出来の悪い弟の人生。こう聞けば、「スタンド・バイ・ミー」「遠い空の向こうに」でも扱われたテーマで、父と子の相克と家族の再生が中心にくるのかと思えばそうでもない。跡継ぎとして父の夢に応えられなかった良多には、父の勘気を蒙るような複雑な結婚事情がありました。良多と実父との膠着した関係はそのまま、再婚した妻にいる連れ子の少年との関係とも重なって、微妙な不協和音となっていきます。

物語が暗い色調を帯びてくるのは、中盤に樹木希林演ずる老母の変貌ですね。
長男の墓参りをきっかけにして、次男夫婦への良き理解者を演じていながら、怖いほどの冷淡さをあらわにしていく。そして、長男が落命する原因をつくったある人物に対する、一見、思いやりに満ちていて、とても残酷すぎる仕打ちには戦慄が走るほどです。そこたしのサイコサスペンスよりも怖い…。表面的には優しさ、穏やかさを装っているなにげないひと言が痛い。一番エゴを剥き出しにしているが、実は彼女こそがこの家族の最大の被害者と言えるでしょうね。

母親に甘えているようでいて、実はちゃっかりしている姉の片岡夫妻。駄目だと思っていても実は男の子が可愛くて仕方がない母親の真情。さらには、頑固親父の老父に隠された秘められた恋情や、老夫婦間の長年の軋轢や距離感などなど、さまざまな家族間の問題点が滲み出してきます。一歩間違ったら取っ組み合いの喧嘩、陰惨な夫婦の口論、嫁姑のいさかいに発展しかねないのに、辛抱づよく耐えているのが次男夫妻。そして少年あつしの未来への意志のおかげで、なんとか明るさを失わずに救われているのです。

これがお安いヒューマンドラマだったら、なにかの小道具かエピソードかを挿入して、お涙ちょうだいか笑いに持ちこんで大団円にさせてしまうところなのですが、まったくの予定調和というものがないのです。人のからだを直す医師であろうとも、傑作を修理する修復師であろうとも、また女の笑顔や大家族の食卓を囲む料理であろうとも、まったく、なにも、関与することが出来ない。次男夫妻に出来たことは、ただ両親のもとを遠ざかることだけ。だからこそ、よけいに現実味がある。

ラストで数年後の次男夫妻が墓参りを済ませることで結末を迎えますが、実際のところ、努力をして家族の絆を修復できたとは言いがたい。それでも新しい家族が一名増えたことを明らかにすることで、良多夫妻が、兄への妄執や両親からの呪縛から開放されたことが示されています。

誰かの実人生を忠実に再現したドキュメンタリーではないかと思われるほど、違和感がなく、隙のないつくりなのですが、リアリティがありすぎて怖いですね。家制度に固執する日本において、夫婦になること、家族を作ること、そして異端者を受容していくことの難しさを思いやられる映画です。場面の転換期に視線を逸らすように青空や新緑を挿しこむ手法が、なんとなく小津安二郎の映画を思わせますね。ありふれた問題点を炙り出しながらも、説教くさくないところもいい。

監督は「誰も知らない」「ワンダフルライフ」で海外での評価も高い是枝裕和。本作では原作・脚本・編集をも兼任。
出演は、阿部寛、夏川結衣、YOU、樹木希林、原田芳雄ほか。

タイトルはいしだあゆみの有名な「ブルーライト・ヨコハマ」の一節から。このレコードを取り出した時の重苦しい空気を思うと、困難を越えて歩いていこう、のような希望的観測や情緒は裏切られること間違い無しでしょう(笑)。これを単に、帰省したときには親孝行をしよう、という気楽な受けとめ方ができるか、それ以上のなにかを感じるかは、その方の人生次第でしょうね。

(2013年5月3日)

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2 Comments

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深いですねぇ (イズミ)
2014-06-17 11:11:12
私が「歩いても歩いても」を観たのはだいぶ前になります。
記憶がうろ覚えになっていますが、樹木希林さん演ずる老母は、どこにもいる母親という感じがして怖いとは思いませんでした。
万葉樹さんの観方は、深いですね。
もう一度あの映画を観なおしてみたいと思いました。
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ありうるからこその怖れ (万葉樹(陽出る処の書紀))
2014-06-17 23:25:39
イズミさま、コメントありがとうございます。

この映画はフィクションでしょうが、ひとつずつのエピソードは現実にありそうなものの連なりによって構成されています。いやというほど凝縮されて。

うんうんそうだよね、その気持ち分かる、と共感もできれば、そんなのありえないという反感もあるでしょう。それは観る人の立場によって変わってくると思われます。私は次男夫妻、および連れ子の視点で眺めていました。でも、あと十数年もしたら、そうでなくなる可能性があります。目線が違えば、物語の味わいも変わってきますので、異なった感想が生まれるのは道理ですね。


>樹木希林さん演ずる老母は、どこにもいる母親という感じがして怖いとは思いませんでした。

この老母の怖さというのは、例えるならば、骸骨を抱いて微笑んでいるような冷たさです。
墓石を亡くなった長男そのままに愛でるあたりや、嫁と連れ子へのさりげない冷遇や、有能な息子と引き換えに生き残ったろくでなしへの侮蔑は、身に沁みてよくわかるだけに、なおさら「怖い」わけです。怖いというより「痛い」といいかえたほうがいいかもしれません。「痛い」というのは、その行為の愚かしさを揶揄する、ないしは嘆く、ではなくして、悲しいということなのです。生身でそれぞれ生きている人生があるのに、もうすでにそこに居ない人にしか意識が向かっていない空疎さ。
ホラーやサスペンスみたいな通常あり得ないものに対する怖さとは別のような怖れですね。

映画やドラマの人物の行動にいぶかしむことがないのは、不動心であり、達観されているという証でもあります。この母親がおっしゃるような「どこにでもいる」存在に見れたなら、私もそのほうが幸せだと感じます。

記事によって興味を持たれた方が増えるのは、レヴュアー冥利に尽きます。
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