陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

就職氷河期世代の怒りは置き去りにされた

2021-06-25 | 仕事・雇用・会社・労働衛生

10年ほど前に主要キャラの少女がタイムループを繰り返すというアニメが人気になったことがあります。
マスコット的な生命体が悪徳営業マンみたいだと揶揄された話題作。SFものにありがちなもので、たいがい時間の流れに逆らうと仕打ちを受ける。でも、残酷な出来事の最後には奇蹟が起きて世界が救われる、何せ魔法少女なのだから…。こういう夢のあるアニメにこころ動かされなくなったのはいつからなのでしょうか。私たちの世代は「やり直すことすら許されなかった」のに…? 

先日放映の、NHKドラマ「半径5メートル」の第八話は、就職氷河期をテーマにした回。
主人公は、芳根京子演じる週刊誌記者。派遣切りされたSNSインフルエンサーのアラフォー女性での取材で、社会への怨みの声を読者ウケが悪いとカットしてしまい、怒りを買う。さらにかつてお世話になった元塾講師の女性の自尊心を傷つける言動をして距離を置かれてしまう。前者はよくありがちな売文の徒ならではの捏造なのですが、後者はある意味、誰にでも起こりうる比較による不幸感。雇用形態や職種や、あるいは子持ちや配偶者の有無で、他者のプライドを踏みにじってしまう鈍感さ。湧きあがってくる苦々しい感情はいまでも珍しくないものです。

私の場合、一緒に働いた若い世代に氷河期であることをいじられることはなかったです。礼儀正しくて、大人しい子が多かった。それよりも、自分よりも上の世代の、とくに非大卒のバブル世代の方に学歴に見合わない仕事してるだの、士業資格を活かしてないだの、厭味を言われることが多かったものです。私が自己喧伝したのではなく、勝手に履歴書が言いふらされていた。お前の生き方は間違っている、ここはお前の居場所ではないと言わんばかりの口調でした。彼女たち自身も社内での待遇や家庭のいざこざがあって、捌け口を探していたのでしょう。

このドラマの、ゆとり世代と就職氷河期世代をやたらと対立させようとする構図も、企業ではよくあります。新卒が使えないから、即戦力の中途採用をはじめたとか。しかし、突き詰めてみれば、労使間の相性の問題でしかなかったりする。正社員採用をちらつかせながら非正規職で氷河期をこき使い、その成果を奪い、育てやすそうな新卒者が入ったらお払い箱にする職場だってあります。会社ではなく、若手に憎悪を向かわせようとするのです。

私はもともと人文科学系の就職できにくい専攻で修士卒だったので、氷河期が悪いとは一概に自覚していませんでした。
ただ、数年後にもリーマンショック世代の氷河期があって、その時の大企業や出版社狙いで撃沈した女子大生(ゆとり第一世代あたり)の不運を、新聞のコラムで取り上げていたことには違和感がありました。東大京大生が田舎の企業や市役所職員になって驚かれた時代、派遣も多かった。でも、問題にはされなかった。私と同世代のロスジェネは総じて自己肯定感が低く、ことさらすぐに可哀そうな世代として自己を社会に売り出すこともなかったでしょう。ここ数年、政府が救済策を具体的に打ち出すまでは。

生まれた年によって豊かに生きることができなかった、というぼんやりとした意識を共有しながらも、どこか自己責任論に縛られている。この氷河期世代の心象を、このドラマは「氷河期世代の怒りは置き去りにされた」「私たちは声をあげることすら許されなかった」という当事者の叫びで語らせています。挫折を知っている先輩記者(永作博美)が若手記者の無理解に反省を促させる場面は、胸がすく思いでした。他人に踏まれたことがなく大事に育てられたひとは、あまりに他人の傷口に無関心で、それはとても残酷なことなのです。でも、そういう人ほど、坂道を転げ落ちると這いあがれない程弱いのではないのか。

しかし、私たちは戦争を生き延びた世代の貧しさや村八分の怖さ、家庭で尊厳を奪われていた女こども、長子以外の弱者の身の置き所のなさ、などを思い至ることはできないでしょう。原発避難民や震災罹災者とそうでない人との格差も。車椅子生活者にとっての階段の怖さも、私の好物が食物アレルギーの人の飢餓感も。いまのつながり地獄の若者が他人に嫌われること、失敗することに気の毒なくらい脅えていることにも。他人の痛みは自分の傷口にする、それぐらいの覚悟がないと寄り添えない。そして、昔の人が犠牲になって勝ち取ってきた権利や文化的深みを、多様性という美名でくくられる寛容さを、与えられて当然なのだとは思わないのです。生きやすさを求めたら、ひとはどんどん貪欲になっていくものなので。

しかし、現在のコロナ禍の政府筋や上級国民層の言動を見るにつけ、われわれ日本国民は彼らが庶民を踏みつけにしている事に対し、もっと激しく怒るべきだと思うのです。生活が苦しくなったら生活保護があるのでどうぞ、とさげずんだように言い放つ政治家には、いちど同じような苦境を味わってほしいとさえ。

(2021年6月21日)






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