私が個人事業主であることを知る人間からは、あなたは無理に会社勤めなんかしなくても、と皮肉っぽく言われてしまいます。たしかに、贅沢をしなければ、なんとか暮らしていけるだけのお金はあります。今のところは。
しかし、人間は何億の宝くじが当たったから、遺産を相続したから、あるいは高給取りの配偶者を得たから、左団扇で暮らせるのでしょうか。
おそらく、一定程度の学力がある人間ならば、そうは思わないでしょう。なまじ、働いてお金を得る喜びを知っているだけに。そもそも、勉強好きな人間は数字が増えるのが大好きですし、自分の努力でなにかがうまく作用するのを眺めるのも嬉しいものです。
なぜ、そう思うのか。
それは、現代社会の貨幣経済システムでは、自分の能力の判定値が年収とされているからです。
ですから会社勤めが嫌だという人間は、株式投資なりしてなんとかお金を増やそうとします。けれども、それは自分の労働力とは関係のないことですよね。
学歴のある者は、高等教育を受けた者は、その能力をすべからく社会へ還元すべきである。
それなりの大学に通った者ならば誰でも、そう思うのではないでしょうか。そして、学歴にふさわしい仕事ならば、高収入であらねばならない。エリートとは稼ぐ人である。そう思い込んでいます。
ところが、若い頃からきちんとしたキャリア形成を考えていないと、収入アップは望めません。
しかも、高年収と思われたはずの知的生産能力の高い業務がAIによって置き換えられ、安い労働力でもできると思われはじめています。
終身雇用制が崩れ、かつてはハイクラスとされた業界の没落も激しい。
新卒で入社できても、いつ失職するかもわからず、キャリアを奪われる可能性がある。現代はみなそんな不安な労働者として生きています。労働者のみならず経営者もそうです。
私が会社員として働き続けたい理由は、個人事業では味わえない、他業界多業種の肌合いを知ることでした。経理や総務という職種ひとつとっても、業界によっても、企業規模によっても、同じ仕事はありません。書類にしても、社会・労働保険関係の届書か税務申告書類のような行政への提出物をのぞけば、社内文書の仕様も作成法も、決裁も保管も、すべて異なってきます。
そうした職場の流儀から、自分の個人事業への刺激を受けることは多々あります。
面接時には「御社に貢献したい」だの「顧客満足度が高い仕事を」だの口走ってみても、ほんとうの仕事のやりがいは「自分の本業にフィードバックしたい」です。なんという自己本位なのか。
ですので、大手メーカーに勤める知人に、うちの正社員求人(生産管理)あるよ受けてみない?と誘われても、こころが動くことはありませんでした。たしかに月給はかなりいい。けれども、やりたい仕事ではない。お金が欲しいのは事実だけれども、ただ稼げればいい、というのでもないからです。
いつもいつも、自分の本業に支障が出そうなほど労働負荷がかかりそうならば、退職していたのです。
運のいいことに(?)、なぜか、ハラスメント的なことを起こしてくれる同僚や先輩社員がいたおかげで、労働トラブルになり、退職金代わりに多めに最後の給料を戴くこともできたりしました。もし、私が行政法や労働法に弱い人間ならば、泣き寝入りなのでしょう。辞める時は、かならず、それまでの会社の隙を突いて、逆襲してからにしていました。雇った側に落ち度がある、ということにしなければ、私は次の転職活動では不利になるからです。辞めるたびに、私は会社組織に対する憎悪を募らせながらも、性懲りもなく、その山を登ろうとするのです。
そもそも、私は兼業会社員の就業先を、なるべく自分の取得済みか学習中の資格に関連しそうなものに、自分の本業と関わってきそうな分野におおむね絞っていました。くわえて、本業とのワーク・ワーク・バランスをとるために、なるべく通勤距離が長くなく、公共交通機関で通えそうな範囲にしていました。
こうした自己本位な仕事探しをし、あまつさえ、うっかり就業もできてしまった私は、これまで自分の適職やら適性については深く考え及ぶことがありませんでした。
でも、会社員として就業するならば、自分の強みや弱みは客観的に把握しておいて当然です。
さもなければ、面接で、書類選考で、まちがったプレゼンをし、ゆがんだ自己像を相手に印象付けたまま入社して、お互いにこんなはずじゃなかった、という後悔を生みます。
私のこの職業観、あきらかに、安定雇用の、正社員求人を狙うのには適していないのです。
(2022/03/07)
★就職氷河期世代が自分の職業適性を考えてみた(まとめ)★
短期間で離職転職をくりかえし、会社員就業に絶望した私が自己分析をして、自分の職業適性を把握できたというお話でした。
しかし、人間は何億の宝くじが当たったから、遺産を相続したから、あるいは高給取りの配偶者を得たから、左団扇で暮らせるのでしょうか。
おそらく、一定程度の学力がある人間ならば、そうは思わないでしょう。なまじ、働いてお金を得る喜びを知っているだけに。そもそも、勉強好きな人間は数字が増えるのが大好きですし、自分の努力でなにかがうまく作用するのを眺めるのも嬉しいものです。
なぜ、そう思うのか。
それは、現代社会の貨幣経済システムでは、自分の能力の判定値が年収とされているからです。
ですから会社勤めが嫌だという人間は、株式投資なりしてなんとかお金を増やそうとします。けれども、それは自分の労働力とは関係のないことですよね。
学歴のある者は、高等教育を受けた者は、その能力をすべからく社会へ還元すべきである。
それなりの大学に通った者ならば誰でも、そう思うのではないでしょうか。そして、学歴にふさわしい仕事ならば、高収入であらねばならない。エリートとは稼ぐ人である。そう思い込んでいます。
ところが、若い頃からきちんとしたキャリア形成を考えていないと、収入アップは望めません。
しかも、高年収と思われたはずの知的生産能力の高い業務がAIによって置き換えられ、安い労働力でもできると思われはじめています。
終身雇用制が崩れ、かつてはハイクラスとされた業界の没落も激しい。
新卒で入社できても、いつ失職するかもわからず、キャリアを奪われる可能性がある。現代はみなそんな不安な労働者として生きています。労働者のみならず経営者もそうです。
私が会社員として働き続けたい理由は、個人事業では味わえない、他業界多業種の肌合いを知ることでした。経理や総務という職種ひとつとっても、業界によっても、企業規模によっても、同じ仕事はありません。書類にしても、社会・労働保険関係の届書か税務申告書類のような行政への提出物をのぞけば、社内文書の仕様も作成法も、決裁も保管も、すべて異なってきます。
そうした職場の流儀から、自分の個人事業への刺激を受けることは多々あります。
面接時には「御社に貢献したい」だの「顧客満足度が高い仕事を」だの口走ってみても、ほんとうの仕事のやりがいは「自分の本業にフィードバックしたい」です。なんという自己本位なのか。
ですので、大手メーカーに勤める知人に、うちの正社員求人(生産管理)あるよ受けてみない?と誘われても、こころが動くことはありませんでした。たしかに月給はかなりいい。けれども、やりたい仕事ではない。お金が欲しいのは事実だけれども、ただ稼げればいい、というのでもないからです。
いつもいつも、自分の本業に支障が出そうなほど労働負荷がかかりそうならば、退職していたのです。
運のいいことに(?)、なぜか、ハラスメント的なことを起こしてくれる同僚や先輩社員がいたおかげで、労働トラブルになり、退職金代わりに多めに最後の給料を戴くこともできたりしました。もし、私が行政法や労働法に弱い人間ならば、泣き寝入りなのでしょう。辞める時は、かならず、それまでの会社の隙を突いて、逆襲してからにしていました。雇った側に落ち度がある、ということにしなければ、私は次の転職活動では不利になるからです。辞めるたびに、私は会社組織に対する憎悪を募らせながらも、性懲りもなく、その山を登ろうとするのです。
そもそも、私は兼業会社員の就業先を、なるべく自分の取得済みか学習中の資格に関連しそうなものに、自分の本業と関わってきそうな分野におおむね絞っていました。くわえて、本業とのワーク・ワーク・バランスをとるために、なるべく通勤距離が長くなく、公共交通機関で通えそうな範囲にしていました。
こうした自己本位な仕事探しをし、あまつさえ、うっかり就業もできてしまった私は、これまで自分の適職やら適性については深く考え及ぶことがありませんでした。
でも、会社員として就業するならば、自分の強みや弱みは客観的に把握しておいて当然です。
さもなければ、面接で、書類選考で、まちがったプレゼンをし、ゆがんだ自己像を相手に印象付けたまま入社して、お互いにこんなはずじゃなかった、という後悔を生みます。
私のこの職業観、あきらかに、安定雇用の、正社員求人を狙うのには適していないのです。
(2022/03/07)
★就職氷河期世代が自分の職業適性を考えてみた(まとめ)★
短期間で離職転職をくりかえし、会社員就業に絶望した私が自己分析をして、自分の職業適性を把握できたというお話でした。