陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

「誰そ彼の枢(くるるぎ)」(一)

2009-05-30 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空・姫神の巫女

永遠に夜の帳がおりる、月世界。
ここでは蒼い星が、夜の明かりだった。その翠ゆたかな星にいたころ、月がそうであったように。

月の社で何番目に迎えた夜だったのか。
社の縁側に正座している千歌音は、宇宙の闇にぽっかりと浮かぶ、その蒼い発光体を眺めていた。
膝元には、すこやかな寝息をたてる姫子がいた。姫子は千歌音を膝枕にして、なにも知らぬげに眠っている。

──目前には再生された蒼き生命の星。
そして、膝元にはかけがえのない愛しいひと。
私は望むものを全て手にしている。

眼前には数日まえに塗り替えた、あたたかな白い雪原がひろがっていた。
花びらのように甘く、草のように柔らかい雪はいくら戯れていても飽きることがなかった。それでいて清らかに乾いた匂いのする、泥と混じりあって濡れそぼることのない、ふしぎと軽やかな雪だった。

数日前、姫子は雪の寝床を転がりまわり、全身に雪をたっぷりと浴びて嬉しそうにさざめき笑っていた。
千歌音もいささかはしたないと思ったが、姫子に誘われて寝転がってみた。千歌音が側に寄ろうとすると、姫子はわざと遠ざかって奔放に転がっていくのだ。追いかけてごらん、とばかり誘ってくる姫子に乗らない千歌音ではない。ふたりしていっしょくたに雪まみれになった。けれども、誰に叱られたりはしない、そんな他愛もないおふざけ。衣はいつも清浄で破れることもなかった。雪はさらさらとして、融けることもなかった。

「千歌音ちゃん、わたしね。地球に忘れてきたものがあるの」
「地球に…?」

何げなくすまなそうな顔で述べられた言葉に、千歌音はいっしゅんばかり胸が詰まった。
欲しいものはと尋ねてとくにおねだりもしなかった姫子が、今さらになって、そんな未練がましいことを言い出すなんて。そんなこと、思いだにしなかったからだった。

「ほんとにきれいだね。このまま消しちゃうのがもったいないくらい」

姫子は腹這いになって、指でフレームをつくり、その中央に千歌音の大きな笑顔を落しこんだ。指の輪の中におさまった自分はいまどんな顔をしているのかしら。姫子が包みこむこの顔に、惑いが溢れたりしてはいけない。
頬杖をついたまま、千歌音は真向かいになった姫子の淡い髪の毛を弄びながら、薄い笑みを浮かべていた。姫子は指で囲まれた仮想レンズから瞳を外し、真っ正面からその美しいひとをじっと覗きこんでいた。

「カメラを忘れた、なあんて不謹慎…かな?」
「アルバムに残しておきたい?」

千歌音が上体を起きあがらせたと同時に、姫子はL字に組み合わせた指を空に伸ばしていた。

「おかしいよね。ここで写真なんか撮ったって意味ないよね?」

そもそも月の世界は真空状態のはず。カメラは作動するのか。
ふと、子どもの頃に読み親しんだ科学の百科事典の一頁を思い出す。今から数十年も前に人類がはじめて月面につけた足跡が映像に残っているくらいなのだから、撮影はできるのだろう。でも、私たちのこの世界は現実(ほんとう)なのだろうか? 現在の私たちは質量をもった生命(いのち)なのだろうか。千歌音はしばし物案じ顔になって、

「おかしくはないわ。でも、どうして? 姫子が望むなら、この景色はいつだって呼び出せるのに?」
「うん…そう、だよね。でも、なんだかね、不安なんだ。ふたりがちゃんとここにいることを証明するものが欲しいの」

四角い指のフレームが崩れ、所在なさげに指をいじりあわせている姫子に、千歌音が諾しないわけがない。

「姫子が望むなら、喜んで」

背中に隠していた手を胸の前でぱっと開くと、姫子が持っていた機体に極めて近い、コンパクトなカメラが登場した。まるで手品のようなしぐさで。
あら、できちゃった。ふたりで顔を見合わせて、笑みがこぼれて花ひらく。

千歌音は姫子が習慣のようにするあのしぐさで、すでにその望みを形にしていたのだった。秘密のプレゼントの指環をさしだすような千歌音の用意周到さに、姫子はにこやかに笑って顔をすり寄せたのだった。



【神無月の巫女二次創作小説「花ざかりの社」シリーズ(目次)】




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