陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

蝶の舞う日

2015-07-26 | 自然・暮らし・天候・行事
夏休みですね。うちはあまり関係ありませんが。
夏と言えば、祭りとか、花火とか、イベント目白押しで、ご当地みたいな田舎でもそれなりに賑わいます。

でも。最近思うのですが、真っ昼間に歩いているとき。
ほとんど人に会わないことが多いです。自営業が減って、会社勤めが増えたからかもしれませんけど。かつての商店はシャッターを閉め切って、薄暗い。行政の予算が回っていないのか、ちぐはぐに工事をしたせいで、道路のアスファルトはがたがた。歩道は草が伸び放題。数年前は住んでいたであろうけれど、空き家になっているお宅とか。地方の疲弊というのを、ひしひしと感じますね。

我が家でも、この季節は雑草対策に忙しいです。
いつもは除草剤に頼っていたのですが、庭木が枯れてしまったこともあり、庭の一部だけを残して、空いた時間で刈ることにしています。刈ったまま放置しておくと肥料になるし、また土をほじくり返すので、柔らかくなるんですね。ふわっとした歩き加減になりますし、土の色あいも変わってきました。

生け垣にしていた槙の木も定期的に枝をそろえています。
この枝とか落ち葉をコンテナに入れて積み上げていたのですが、ひさびさに見たら、いい具合に土に還っていました。台風の後始末などで落ち葉を掃いたりするのは、ものすごく面倒だったんですよね。でも、それがこんな宝物に変わってしまうとは。なんだか、世界が違って見えるようです。

庭木や軒下などに張る、奔放な蜘蛛の巣をとったり、枝を払って陽あたりをよくした甲斐あってか、庭の奥にアゲハチョウが五匹(専門的には「頭」で数えるらしいけど)滞在中。品種がわからないですが、色目のいい小鳥もやってきたりします。かわいい子がえるもいたり。生きものが寄ってくれるのは、除草剤を控えたせいなのかもしれません。

蝶で思い出すのは、ヘルマン・ヘッセの「少年の日の思い出」ですね。
おそらく国語の教科書でほとんどの方が読まれてであろう短編。蝶の熱烈なコレクターであった主人公が、嫉妬に駆られて、嫌味な友人の蝶を盗もうとして、うっかり砕いてしまうお話です。母親に伴われて謝罪にきたのに、友人はただ冷淡に軽蔑の感情を見せただけ。そのことが、なおさら主人公の自尊心を傷つけ、自分の蝶のコレクションまで潰してしまう。主人公は所有物の豊かさで他人に勝とうとしたその浅ましさを見抜かれ、なおかつ、その友人が自慢していながら、さほども収集物に執着すらしていなかったことに動揺してしまったのですね。自分が蝶を持っている限り,永遠にその罪を思い出すことになる。蝶のクオリティで負けた悔しさではなく、自分の過ちに向き合わねばならない怖さがあったから。だから、潰したのです。しかし、そもそも、そんな身勝手な人間の所有欲のために、はかない命を奪われて見せ物にされている蝶もかわいそうですね。

アゲハチョウというのは幼虫も、かなりグロテスクな見た目をしています。
切り紙絵のように繊細な曲線美の模様のはいった成虫の羽ですけれど、あれも長時間見つめていると、酔ってしまうような気味悪さがありますよね。
以前、木下闇にもぐって草取りをしていたら、耳の当たりがむずがゆい。帽子を脱いでみたら、なんと、いかにもちくちくした感じの毛虫が。気持ちわるすぎるので潰そうかなと思ったのですが、これはどういう蝶になるのだろうか、と思い立ち、紫陽花の葉のうえに解き放ったことがあります。ひょっとすると、あのときの毛虫が仲間を連れて、この庭にやってきたのかもしれません。花木を植えたりして庭をととのえるのは簡単でしょうが、生きものが訪れやすくする庭にするのは、ひとの意思だけではできないでしょう。アゲハチョウが舞う庭の眺めはすばらしいですが、蝶の美しさは蝶自身のそうでありたい、と願った努力によるもの。他の命のあえかな努力を手のうちに収めて、その造形の見事さを競い、その競争心に溺れて卑小な自分を曝け出したことを恥ずかしく思った──ヘッセの短編の主人公の最後にとった行動の裏にはこのような心理があったのではないか、と察します。

オスカー・ワイルドは「自然は芸術を模倣する」と言いましたが、いささか、おこがましい言い方ですね。やはり、美しい自然あっての芸術美ではないでしょうか。そうでなければ、印象派の巨匠モネは、蓮池をじっさいに造成したりはしなかったでしょうし、環境保護運動に勤しむこともなかったでしょう。地球が荒涼とした砂漠の景色のままであったとすれば、やはり文化は育たなかったでしょう。

自然を相手にすると骨が折れることも多いですが、自然のサイクルには無駄がないことを痛感します。ぜいたくな景色ですよね。自分だけの努力では成し遂げられない、偶然に協同的な奇蹟のかさなった瞬間によって生じた眺めだからこそ、尊いのだと言えるのです。


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