陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

「日陰の花と陽ざかりの階段」(五)

2008-09-17 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空・姫神の巫女

カズキは、千歌音の問いに直に答えなかった。千歌音も気にもとめない、詮索するのもなんだか憚られて。答えないということのうちに答えは含まれていたのだから。

「昔ね、紫陽花を好きだと言った女性がいてね。こういったんだよ、『自分は生まれ変わるなら紫陽花になりたい』と。けっして生まれついた顔かたちは変えられない。それで嘆くよりも、色を塗りかえるように鮮やかに気持ちを入れかえて生きたい』と」
「なるほど…紫陽花は一木に、小振りだけれども多くの花をつける贅沢な花。絶えず色違えてひとの目を楽しませる遊び心のある花。その方は、きっと芯のつよい方だったのでしょう。この花茎のように…」

乏しい光のもとでも、しっかりと花開く。しかも次々と色を移して咲き変わるその花は、転生の花なのかもしれない。ふつうなら、ひとつの鮮やかな色で終わるはずのいのちが、ひと季節で二度、三度と湿っぽい空気になじんで淡くけぶるように返り咲く。それは考えてみれば、すばらしい奇跡なのではないだろうか。移り気なんて歌人に詠まれたその花の本性が、愛おしいものに思いなされた。この花は、自分の意思で色をつくりかえている。なんて強くて気高い花だ。生きることに貪欲な花だろう。きっと大輪の薔薇や白百合にも勝る尊い花だ。そんなことを、若き日の師に教えたその女性はどんなひとだったのだろうか?

千歌音はすこし考え込むような仕種をしてから、晴れやかな笑みをつくってカズキのほうを振り向いた。十七歳らしい弾んだ明るい声で、青年をまたしても翻弄する。

「先生は、その方がお好きだったのですね?」
「む…なぜ、そのようなことを」

いつもは冷静な師が、少しだけ取り乱したのがおかしい。袖口で口元を上品に隠しながらも、くすくすと笑いはこぼれてくる。

「堅物で有名な大神先生の口から、女性のお話がでるなんてはじめてのことですから」
「姫宮くんの鋭さには敵わないな、まったく」

カズキは腕を袖から出して、照れ隠しに頭を掻いた。諭そうとしているこちらが、逆に諭されてしまうなんて。自分もまだまだ未熟だろうか。それとも、少女のその聡明さに、やはり昔の亡きひとの影をみてつよく言えないせいだろうか。しかし、自分が千歌音に向ける感情は、かつてのあのひとに対するそれではない。それはいわば、年長者が若人に贈る心配りのようなものだった。

千歌音とておなじだった。カズキはいわば兄のような存在で、けっして恋愛対象ではない。学内で自分と恋仲を噂されるソウマよりは、父親以外でははじめてでそして最大の好感をもてる男性だった。もし自分がふつうに男を好きになるなら、その相手は大神カズキのようなひとだろう。独りっ子であり、また物心つく頃から両親の不在で家内をまとめてきた彼女が頼るなら、包容力のある大人の男であるに違いない。来栖川姫子の笑顔に魅せられてから、もう誰の存在もはいりこまなくなったけれど。こんなありえないことに、束の間考え及ぼしている自分がおかしかった。いつもと違う自分を見出して、こころがゆくりなく解れた気がした。重い心を携えて参加した句会であったが、参加して良かったと思えた。今日はきっと午後からもいいことが生じるに違いない。

「先生。今度お茶でもいかがですか?ご馳走いたします」

カズキは一瞬、言葉に詰まって逡巡した。
ソウマがよく読んでいる付箋張りまくりの雑誌の特集頁が思い浮かんだ。若者がたむろするような喫茶店に、年若い娘とテーブルを挟んで何を話せばよいのだ?こんなむさ苦しい格好では、街の者の笑い種になってしまうだろう。何より、相手はあの有名な姫宮家のご令嬢。神に仕える身である自分と妙な噂でもたてられでもしたらいかがなものか…。

「…ああ。気持ちは嬉しいのだが、最近は調べ物が溜まっていてね…遠慮させてもらうよ」
「珍しい茶器が手に入りましたので、当家の茶室で一杯お点てしようと思ったのですが…それは残念ですね」

少女が無邪気に言ってのけたので、考え違いをしていた青年は、恥じらいと後悔の表情を顔に浮かべていた。



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