陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

「日陰の花と陽ざかりの階段」(四)

2008-09-17 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空・姫神の巫女

カズキは千歌音を導いて、境内のほうへ廻った。
ここ数日梅雨の合間の晴天日がつづき、ちらほらと参拝客も訪れていたようだ。
金木犀の木には、純白の神籤がところどころ結わえられている。そこは年中、希望の蕾みが花開いていた。

「姫宮くん。ここには願いの花が咲いている。その花は白くみえる。けれどほんとうに白だろうか?」
「人それぞれ、夢のいろは違うもの。そう仰りたいのですか」
「君が願えばこの花のいろは、どんなふうにも染まるよ。そう思わないかい?君はさっき、燕子花をみごとに蘇らせたね。あのままでは死んでいた花が、君に活けられることであたらしく花開いたんだ。観客はきっと打ち落とされた花茎に、幻の燕子花をみていたに違いない」
「花と自分とは違います…私は、生まれ落ちた時からの私を変えられはしない」

溜め息が蒼い色にみえる。遠くにかすむ紫陽花のように。ひろい青葉のうえを、かたつむりがゆったりと歩んでいる。葉をゆるがすほどのいのちの重さを受けているのに、紫陽花はどっしりとしていて、びくともしない。日陰に咲くのに、この花はなんとも強い。千歌音は二度目に、羨望の吐息をその花に送った。少女の深い嘆きを吸って、紫陽花はますます蒼く冴え冴えと色づいている。

「君はじゅうぶん美しい。すばらしい才能をもっている…観客は花ではなく、君を眺めているのに」
「どんなに気高い花だって、自分のつくりに嫌気がさすことだってあります」

千歌音は地面に視線を落としたまま。
カズキは溜息をついて着物の袖のなかに腕をしまいこみ、夏のぶ厚い白雲が領している空を、細めた瞳でみあげた。かび臭い古文書の解読につかれた眼を高窓から覗く月に休ませる、物思いな夜の癖がすっかりついてしまった。沁み入るように淡く光る月を浴びるだけで、こころが震えていつも、珍しいひらめきが働いたりする。しかし、少女の翳りを裏切るかのごとく晴れわたる空から、答えが驟雨のごとく降ってきそうにもなかった。

「君はさっき、男に生まれたらと望んだね。では、ほんとうに神かけてそれを願うのかい?」

千歌音の唇がいろを失って、細かく震えた。
このひとは村の信望を集めるひとで、神の威をあずかるひとだ。駄々っ子のように嘘を貫きとおしても、いつまで続くはずもない。そして自分はその本領を失ったとはいえ神の依り代となる巫女だった。偽りの「はい」を伝えれば一緒にそれを願ってくれる頼もしさが彼にはある。「いいえ」と拒めば、そのおおらかに傾けてくれる良心に背いていることになる。肯定はしない、かといって全否定もできやしない。神の名をもちだして、賢(さか)しいひとにそんなあやふやな心根を正されたのだと悟って、千歌音は諦観したように口を開いた。

「…すみませんでした。神聖な場所で、先生のまえで、あいまいな望みを口にするなんて」
「いや、誰でも一度は、親からもらったからだを呪うものさ」

びっしりと裸の枝垂桜に結ばれた神籤の花房がみえた。その木はお布施をしたひとが結ぶために特別にあつらえられた結び樹で、境内表の金木犀とは違って神籤を外されることがなかった。
男にしては繊細な掌が、その小枝をかるく揺らした。

「ここには、願いの蕾がある。迷いの枝葉がある。人々は、結ばれた御籤を二度と開きにくることはあるまい。そんな願掛けをした事さえも忘れてしまうかもしれない。それでいいのだ。一時の気の迷いで望んだことがすべて叶ってしまったら、恐ろしいことになるからね」
「先生は、昔そのような、叶ってはいけない願いをいだいたことがおありなんですか?」

美しいひとの深く探るような瞳で鋭くみつめられて、カズキはどきりとした。まるで、十数年前の彼女に問いつめられているかのように錯覚した。

あのとき、賽銭箱のまえで眉をよせてなにかを祈る黒髪の慕いびとの横で、若かった自分はどんな願いを神に届けただろうか。遠くからそのひとと息子の幸せをただひたすら祈る、そんな大人びた願いをするには、自分はあまりにも幼すぎた。自分の想いさえ届けばいい、だけど本気でそれを貫く勇気もなかった。想うことしかできなかった、彼女をその地獄からすくうこともできなかった。そして彼女の家庭が壊れ、こうしてまた幼き日々をすごした神社へ戻ってきてくれたことを、内心ほくそ笑んでいた自分に気づいて、腹が立った。
神職を継ぐまえに、そうした疾しいこころは葬っていたのだった。社に結ばれた百花の願いを年々歳月眺めつくしながら、自分が葬っていた願いのひと結びのことなど気にもとめなかった。彼女の再来かと見違えてしまう少女が、現れるまでは。
いまでも胸を苦くする淡い初恋の記憶は、その後のカズキの恋愛感覚を鈍らせる遠因になっていた。



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