陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

本のある場所だけが、この世に残された天国だった

2018-02-12 | 読書論・出版・本と雑誌の感想

作家さんの読書歴などを読むと、子どもの頃からかなりの読書家であったことが伺えます。たとえば『天地明察』で知られる冲方丁さんは、両親の仕事の影響で海外在住だった子ども時代、日本語に餓えていたので、意外なことに日本の少女漫画や古典を耽溺して読んだそうです。清少納言を主人公にした歴史小説も書かれていますよね。

私は趣味が読書を自称していますが、果たして、子どもの頃から読書家であったかと言えば、そうでもありません。小中学校の頃、学校の図書館にはほとんど通いませんでした。置いてある本が古臭くて嫌だったからです。

実は、子どもの頃、本には嫌な想い出があります。
小学生時代、読書感想文の課題図書があって遊び友達に貸したのですが帰ってこなかったこと。クラスで本を持ち寄って交換するというイベントがあって、割りと装丁のいい童話本を差し出したのに、私に代わりに渡されたのが男の子のもってきた薄っぺらいパンフレットみたいな民話の本だったこと。学校の図画の授業の読書感想絵画で描いたシーンを教師に「みんなはそんな場面で感動しない。お前は頭がおかしい」となじられたことです。

ですから、勉強用の参考書は買いましたが、きょうだいが勧める漫画やライトノベルを除いたら、本屋で小説なんか買ったこともありませんでした。歴史上の人物の伝記は好きでしたが、歴史漫画でなければ、借りて読んでいました。十代の読書通がかならず挙げる海外ファンタジーとか名作古典漫画とかを経由したことがない思春期でした。その私が図書館の良さを認識したのは、高校になってからです。

私の母校の高校の図書室は最上階の離れた教室にありました。ある時期から、私は毎日そこに通うことになります。図書委員になったわけではありません。二年生になると、放課後の掃除の時間三十分ぐらい挟んで、午後五時ぐらいからの補習の時間があります。それまで掃除当番でない人は、掃除班の邪魔にならない様に庭に出たり廊下でたむろしておしゃべりしたりするんですね。でも、昼ご飯も教室を抜け出すぐらい、自他ともに認めるぼっち(笑)だった私には、行き場がありません。しかし、図書室だけは掃除当番がいたけれど、本を読むふりをしていれば追い出されたりしなかったんです。受験近くなると授業という授業がいないので、よくさぼって美術室でデッサンなどをしていたりしたのですが、この掃除時間だけは、図書館だけが逃げ場でした。

そして、その図書館には、進学校とは思えないほど、実に優れた美術の技術書があったりして、熱心に眺めていたものでした。東京芸大や多摩美術大学にも卒業生がいるし、教育大学の美術科進学者もいるわけですから、あってもおかしくはなかったのですが。とにかく、図書館は学術参考書しか知らなかった私の読書体験を変えてくれました。

太宰治の『人間失格』や『斜陽』を読んだりしたのも、その頃。でも、高校生当時の私には、日本文学の良さは皆目わかりませんでした。国語教師に勧められた読書の授業で、トルストイの『人生とは何か』を読まされても面白くない。ただ、好き勝手に選んだ北杜夫の『どくとるマンボウ』シリーズのどれかは、こみ上げる笑いを抑えるのが必死なほど面白かったのですが。文学なんて国語の授業で読むもの、問題を解くためのものとしか思いませんでした。現国の評論文や古文漢文は得意だったけれど、小説を読んで解くのはほんとうに大嫌いでした。主人公の気持ち? そんなのわかるわけがない。小学校の頃、何かの物語の感想で、担任教師の求める答えでなかったとかで、居残りさせられてなんども作文させられた苦みがいまだに残っています。

私が高校生あたりに、上橋菜穂子先生の『守り人』シリーズの単行本なんか刊行されて話題になっていたはずですが、児童向けのファンタジーなんぞ読まずに、アニメの「美少女戦士セーラームーン」なんぞにハマっていた私は、もちろんそんな文芸界の動きも知りません。
大江健三郎がノーベル文学賞受賞したから、国語の入試問題で出題されるから読んでおこうかなと目を通しましたが、さっぱりわかりませんでした。

私にとって、十代までの本は、絵を描くための技術を知るためか、学校の成績を上げるためのものだけでした。小学校の頃、買いそろえてもらった百科事典は大好きでしたが、その百科事典のなかにある、有名な日本文学の名があっても手に取ることはありませんでした。本というのは、人間の動く物語に感動したりするものでなく、知的好奇心を満たしてくれる役立つものでなくてはならない、という考えがありました。今でもこの考えは変わっていませんが、疲れた時には実用書や仕事に関する本からは離れたくなります。虚構の世界に浸りたくなるんですよね。

本のことを語るシリーズなのに、自分の人生語りが多くなってしまいましたね。
私の人生がそれだけ本に依存しているからなのでしょう。

人生に迷ったとき、仕事に、家庭に、がむしゃらに押し寄せる現実に疲れた時、立ち寄ったのはいつも図書館か、本屋さん。本がある場所は、たった一人になれる聖域ですね。

読書の秋だからといって、本が好きだと思うなよ(目次)
本が売れないという叫びがある。しかし、本は買いたくないという抵抗勢力もある。
読者と著者とは、いつも平行線です。悲しいですね。



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