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三連休皆さまはいかがお過ごしでしたか?
連休にならなかった方もいらっしゃるかもしれませんね。
私はほんとうは帰省する予定だったのですが、帰省する目的が急きょなくなってしまいましたのでとりやめました。
その目的がなくなっても帰ってもよかったのですが。
連休明けに課題を増やされてしまったので、帰るに帰れなくなりました。
じつはその課題もいまだに片づいてはいません。
それを出した人間に対する、これまでの理不尽がつのって、やる気がおきないからです。
ごめんなさい、でも、だめなんです。うっかりブログに長々と書きそうになって消しました。
昨日は中秋の名月で。
まるくふくらんだ月が覗いていました。曇りがちであったため、そして空が高くなったがため。こころなしか、その月は遠くに感じられてしまいました。
それはとても小さな、点のような月で。
映画の「アポロ13」のトム・ハンクス演じる宇宙ロケットの船長のした仕種を借りれば、大のおとなの親指でも隠れてしまうくらいに、ほんとにちっぽけな月でした。
あまりにも小さすぎる月を覆う闇ばかりがひろくて、不安を誘うような夜でした。とても愛でられる気分でなかったのです。どうして他の星は、その空きを埋めてくれなかったのでしょうか。
中学生のとき、ちょうどいま時分でしたでしょうか。
学校帰りの黄昏どき。西の空に不気味に紅いおおきな月が、ビルの合間から覗いていたのです。その表面にはなにかふしぎな文様が描かれてあるようにみえました。
私は気になって、明日はテストだというのに、その月に近づきたくなって、ペダルを必死に漕いだものです。
一時間も二時間も自転車を走らせたというのに、月はいっこう手の届く範囲にはやっていきません。
近づけばちかづくほど、それは退いていくばかり。
いつのまにか景色は人気のない田舎道になり、すっかり陽も落ちきってしまいました。
そのとき悲しかったことは。次の日のテストの結果がさんざんだったことではなく。
どんなに手を伸ばしても足をかけても、届かないものはあるのだということでした。
月の土地を買うというキャンペーンがあったそうですが。どうして、なぜに、ひとがそんな不毛の土地を買いたがるのか。
そんな理由も理由にならない理由として理解できるような年齢になっていました。
きょうは老いを祝う日でありますが。
「老人力」という言葉をヒットさせた赤瀬川源平の詐術のせいかはわからぬながら。じっさいの老齢人口よりもはるかに多くの「精神老人」がこの国には住みついているのでしょう。すでに若くしてなにかをリタイアしたひととか、養ってもらうことばかり考えているとか。若者を安い給料でこきつかって自分は趣味に興じている富裕層(ある経済学者の言葉を借りれば「ノンワーキング・リッチ」)であるとか。
自分が老いることなんて想像するだにおそろしいことだと。すでにお祝いする老いもなくて、私にとってはいちばん祝日のなかでありがたみを感じられなくなった日。
もしかしたら、かつての楽しかったことも、わくわくしたことも色褪せてみえてしまっている自分は、確実に老いているのかもしれません。
連休中は平日の睡眠不足がたたって寝てばかりいました。
ああ、お休みが終わってしまいますね…。
なんとなくへんなことを書きたくなるのは、月が狂っているのかもしれませんね。
この連休中に楽しいものを読ませてくださった皆さま、ありがとうございました。
連休にならなかった方もいらっしゃるかもしれませんね。
私はほんとうは帰省する予定だったのですが、帰省する目的が急きょなくなってしまいましたのでとりやめました。
その目的がなくなっても帰ってもよかったのですが。
連休明けに課題を増やされてしまったので、帰るに帰れなくなりました。
じつはその課題もいまだに片づいてはいません。
それを出した人間に対する、これまでの理不尽がつのって、やる気がおきないからです。
ごめんなさい、でも、だめなんです。うっかりブログに長々と書きそうになって消しました。
昨日は中秋の名月で。
まるくふくらんだ月が覗いていました。曇りがちであったため、そして空が高くなったがため。こころなしか、その月は遠くに感じられてしまいました。
それはとても小さな、点のような月で。
映画の「アポロ13」のトム・ハンクス演じる宇宙ロケットの船長のした仕種を借りれば、大のおとなの親指でも隠れてしまうくらいに、ほんとにちっぽけな月でした。
あまりにも小さすぎる月を覆う闇ばかりがひろくて、不安を誘うような夜でした。とても愛でられる気分でなかったのです。どうして他の星は、その空きを埋めてくれなかったのでしょうか。
中学生のとき、ちょうどいま時分でしたでしょうか。
学校帰りの黄昏どき。西の空に不気味に紅いおおきな月が、ビルの合間から覗いていたのです。その表面にはなにかふしぎな文様が描かれてあるようにみえました。
私は気になって、明日はテストだというのに、その月に近づきたくなって、ペダルを必死に漕いだものです。
一時間も二時間も自転車を走らせたというのに、月はいっこう手の届く範囲にはやっていきません。
近づけばちかづくほど、それは退いていくばかり。
いつのまにか景色は人気のない田舎道になり、すっかり陽も落ちきってしまいました。
そのとき悲しかったことは。次の日のテストの結果がさんざんだったことではなく。
どんなに手を伸ばしても足をかけても、届かないものはあるのだということでした。
月の土地を買うというキャンペーンがあったそうですが。どうして、なぜに、ひとがそんな不毛の土地を買いたがるのか。
そんな理由も理由にならない理由として理解できるような年齢になっていました。
きょうは老いを祝う日でありますが。
「老人力」という言葉をヒットさせた赤瀬川源平の詐術のせいかはわからぬながら。じっさいの老齢人口よりもはるかに多くの「精神老人」がこの国には住みついているのでしょう。すでに若くしてなにかをリタイアしたひととか、養ってもらうことばかり考えているとか。若者を安い給料でこきつかって自分は趣味に興じている富裕層(ある経済学者の言葉を借りれば「ノンワーキング・リッチ」)であるとか。
自分が老いることなんて想像するだにおそろしいことだと。すでにお祝いする老いもなくて、私にとってはいちばん祝日のなかでありがたみを感じられなくなった日。
もしかしたら、かつての楽しかったことも、わくわくしたことも色褪せてみえてしまっている自分は、確実に老いているのかもしれません。
連休中は平日の睡眠不足がたたって寝てばかりいました。
ああ、お休みが終わってしまいますね…。
なんとなくへんなことを書きたくなるのは、月が狂っているのかもしれませんね。
この連休中に楽しいものを読ませてくださった皆さま、ありがとうございました。