『陰陽師』ブームだとかで神社を訪れるのが流行っているとのことですが、実は、私、どちらかといいますと、神社よりもお寺のほうが好きです。理由は簡単で、あまり信仰心がないうえに、神社にはあまり美術品がないから。そして、神社というのは祭りの縁日で屋台めぐりをするところ、美術の授業で写生をするところ、結婚式をするところ、という子どもの頃の感覚があまり抜けませんで、あまり神聖な場所という気がしないからなのですね。神社マニアの友人がいて、学生時代に貴船神社に連れていってもらったことがありましたが、あまり感慨がわかなかったという。印象に残ったのは、厳島神社ぐらいですね。ついでに言いますと、巫女さんは好きですが、宮司よりは坊主のほうが好きです(謎)
さて、この文化の日は、とある古寺を訪ねてみました。
日帰りなので、旅行というほどでもないのですが。デジカメで撮影したのですが、あいにく、ケーブルが見つからず、ブログに画像を掲載できないのが口惜しい。
山あいにある曹洞宗のお寺。
禅寺だけあって、あまりごてごてした装飾がなく、質実剛健さがあるのがいいですね。有名な寺社にあるような、観光客を誘うような派手な幟も、露天商もはべっていないところがよろしい。学生時代に鎌倉の北条家ゆかりの寺巡りをしたことがありますが、それに雰囲気が近いです。
この古寺を訪ねるのは二度目でして、初回は高校生のころ。
この古寺に関係する人物が自分の先祖ではないか、という前提をもとに書いたレポートを提出したところ、えらく歴史の先生に評価されたという、嬉しい想い出があったりします。宝物館の職員さんから貴重な資料をいただいたというプレミアが、教師の目にとまっただけかもしれませんが。なぜか、私のレポートだけ返ってこなかったので、その後、どうなったのか気になります。この先生、博物館学芸員に転職されたのですが、数年前にばったりお会いしたんですよね。それで、このレポートの行方についてそれとなく尋ねてみたのですが、言葉を濁されてしまいました。
十代の頃はとても大きく、迫力があって見えた景色でしたが、いま、この年になってみますと、いささかもの佗しい感じに包まれてしまうものです。この寺にはある恐ろしい謂れがありまして、その痕跡が残っているのですが、かつては背筋を冷たいものが走るような感覚で駆け足で通りすぎていた場所も、いまや余裕綽々。恐いものがあるとしたら、そんな目に見えるおどろおどろしいものではなくなったのでしょうか。
宝物館には、この寺の庇護者であった守護大名や藩主の所蔵品などを拝むことができました。しかし、奈良の国立博物館などに比べますと、やはり規模が規模だけに見劣りがするのが悲しいところ。解説もいささか不十分で、あまり研究が進んでいないのだと思われました。
本堂の内部を拝観させていただいたあと、お茶室にてお点前をご馳走になりました。我ながら茶道の無作法に恥ずかしい思いをしつつ。ご婦人方いわく、例年秋ごろに大々的に公開をおこなっているものの、数年後に修繕を控えているので、今年からはあまり告知しなかったとのこと。そのせいか、あまり客足も乏しく、落ち着いて鑑賞させていただくことができました。人ごみ大嫌いな私には願ったりかなったりです。
ちょっとした庭の手入れされた仏間のある古いお邸という感じだったのですが、なかなかに楽しめた一日でした。ただひとつ、いつもこの手の寺社仏閣で気になるのが「重要文化財」と書かれた立て看板。必要なことはわかるのですが、あれを見かけるたびに、時空を超えてトリップした気分が台無しにされてしまうのですよね。古い過去と対話しようとしているのに、現実に引き戻されてしまう。歴史漫画を読んでいたら、唐突に携帯電話が出てきて興ざめしてしまうような。ロマンをふくらませて、ロマンを破られて帰ってくるという、旅はすべてこの繰り返しなのです。
さて、この文化の日は、とある古寺を訪ねてみました。
日帰りなので、旅行というほどでもないのですが。デジカメで撮影したのですが、あいにく、ケーブルが見つからず、ブログに画像を掲載できないのが口惜しい。
山あいにある曹洞宗のお寺。
禅寺だけあって、あまりごてごてした装飾がなく、質実剛健さがあるのがいいですね。有名な寺社にあるような、観光客を誘うような派手な幟も、露天商もはべっていないところがよろしい。学生時代に鎌倉の北条家ゆかりの寺巡りをしたことがありますが、それに雰囲気が近いです。
この古寺を訪ねるのは二度目でして、初回は高校生のころ。
この古寺に関係する人物が自分の先祖ではないか、という前提をもとに書いたレポートを提出したところ、えらく歴史の先生に評価されたという、嬉しい想い出があったりします。宝物館の職員さんから貴重な資料をいただいたというプレミアが、教師の目にとまっただけかもしれませんが。なぜか、私のレポートだけ返ってこなかったので、その後、どうなったのか気になります。この先生、博物館学芸員に転職されたのですが、数年前にばったりお会いしたんですよね。それで、このレポートの行方についてそれとなく尋ねてみたのですが、言葉を濁されてしまいました。
十代の頃はとても大きく、迫力があって見えた景色でしたが、いま、この年になってみますと、いささかもの佗しい感じに包まれてしまうものです。この寺にはある恐ろしい謂れがありまして、その痕跡が残っているのですが、かつては背筋を冷たいものが走るような感覚で駆け足で通りすぎていた場所も、いまや余裕綽々。恐いものがあるとしたら、そんな目に見えるおどろおどろしいものではなくなったのでしょうか。
宝物館には、この寺の庇護者であった守護大名や藩主の所蔵品などを拝むことができました。しかし、奈良の国立博物館などに比べますと、やはり規模が規模だけに見劣りがするのが悲しいところ。解説もいささか不十分で、あまり研究が進んでいないのだと思われました。
本堂の内部を拝観させていただいたあと、お茶室にてお点前をご馳走になりました。我ながら茶道の無作法に恥ずかしい思いをしつつ。ご婦人方いわく、例年秋ごろに大々的に公開をおこなっているものの、数年後に修繕を控えているので、今年からはあまり告知しなかったとのこと。そのせいか、あまり客足も乏しく、落ち着いて鑑賞させていただくことができました。人ごみ大嫌いな私には願ったりかなったりです。
ちょっとした庭の手入れされた仏間のある古いお邸という感じだったのですが、なかなかに楽しめた一日でした。ただひとつ、いつもこの手の寺社仏閣で気になるのが「重要文化財」と書かれた立て看板。必要なことはわかるのですが、あれを見かけるたびに、時空を超えてトリップした気分が台無しにされてしまうのですよね。古い過去と対話しようとしているのに、現実に引き戻されてしまう。歴史漫画を読んでいたら、唐突に携帯電話が出てきて興ざめしてしまうような。ロマンをふくらませて、ロマンを破られて帰ってくるという、旅はすべてこの繰り返しなのです。