陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

「夏の花」(二十八)

2008-10-06 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空・姫神の巫女


炎の花が咲いても気取られぬように、私は姫子を屋上のプールサイドに案内した。

プールといっても、塩素のにおう方形の水槽ではなくて、南国の海に似ていた。人口砂浜をつくり、このアメリカの東海岸に、西のカリフォルニアの温かい海水をわざわざ引き寄せた贅沢な海水プール。もちろん、この砂浜に足跡をつける人間は限られている。

夏とはいえ夜の海はひんやりとした空気が漂っていた。風も吹かずさざなみを立てない静かな海には、借りてきた風景特有のよそよそしさがあった。海は淡い潮騒を響かせず、波は白い砂を噛むことはなく、水は青い藻を揺らすこともない。ひんやりとした冷たさと、浸した足にまとわりつく布のような水の感触と、ほんのりと薫る潮だけが海らしさを伝えてきた。

海から水を汲んだバケツをふたりで運んできた私たちは、零れないようにそっと砂浜に降ろした。片手でバケツを運ぶのは肩が凝って難儀であったけれど、水の冷たさも重さもふたりの手で分け合えば辛くはなかった。魚ひとつ泳がず、藻くずのひとかけらすら浮かばない、マリンブルーの透明な水がちゃぶん、たぷんと、耳にここちよいたわんだ音で揺れている。

姫子と私は濡れたスカートの裾をぎゅっと絞りあげながら、これからおこるイベントに胸が躍って、笑顔を隠しきれなかった。

このプールは高層ビルの最上階のドーム型の施設のなかにある。ドームはフィレンツィエの有名な大聖堂を模して八角形の構造をしている。雨や風のない日、傘骨のように中央に集中する梁をもつ円い天井は、空に開かれていた。今夜もアメリカ有数の高所にある海は、夜空と接していた。
夜空の星の煌めきがあまりに近い。月光があまりつよくないせいで、満天の星がよく見える。姫子は夜空の美しさに、しきりと感嘆の声をあげていた。

「うわぁ、すごいなあ。こんなきれいなお星様がいる空を乱しちゃいけないね。線香花火でよかったね、千歌音ちゃん」
「うふふ、そうね」

とはいえ、線香花火だから害がない、というわけでもないのだった。
高級ホテルに花火をもちこんだ、なんて知られたらただごとではない。お父様の立場がないだろう。たたでさえ、テロ対策で爆発物のたぐいには神経を尖らせている街なのだから。なのにふしぎな高揚感があった。あの乙羽さん似のフロントガールが血相を変えてとびこんでくる姿を夢想して、笑いがこぼれてしまう。
人目に知られぬドキドキが嬉しいのだ。ちいさなテロリストになったようで。姫子といっしょに夜に産み落とすやさしい原爆なら、恐くはない。夜空におおっぴらに舞いはしないけれど、愛するひとと二人だけの花火ショー、ニューヨーク全市民に触れて回りたいほどだった。



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