陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

「日陰の花と陽ざかりの階段」(一)

2008-09-17 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空・姫神の巫女

句会は滞りなく終了した。
神主はいま、その終わりになって始まりへと記憶を戻した。


額に脂汗を滲ませた芸のない顔が集まっている中に、少女が姿を現すと、それだけで座敷の空気が様変わりした。それはたとえるならば、枯れ木の山へ挿しこまれた一輪の白百合の花。

姫宮千歌音は誤って鋏で杜若の花を切り落とした。
庭にはまだ杜若は残っているし、念の為に予備にとってある。それを渡すべきだろうか、と大神カズキは思案した。だがあれは、貴重な一輪。今日の日の為にと選りすぐった三本のうちの一本だった。

千歌音の鋏を握る手は一瞬止まり、小刻みに震えた。しかし、表情は変えず、わざと葉と茎ばかりの植物を眺めた。落とされた紫の花は、綺麗に花弁の奥まで見通せるほど、顔をこちらに向けていた。それはしかし、もはや杜若の花という概念を失った、ただの紫いろの紙できた作り物のようにさえ思われた。だから、千歌音は床に転がるそれに一瞥もくれず、そうした未練を与えないことが、潔さという美徳になった。

塾考している振りをすることで、この異常に気づく者はいなかった。もし活花の出来映えが悪ければ、それはその後に催される歌詠みの場に影響を与える。失態は許されなかった。
千歌音の所作は、まるで初めから終わりまで、乱れることがなかった。数多の聴衆の面前で長時間演奏するコンサートの場数を踏んでいたことが、彼女の精神力の基盤であった。

千歌音は一本を残して、他の杜若の花をばっさり打ち落とした。
──ザクっ、ざくッ。
迷いのない鋏の刃が交わって緑を斬る音のみが、深閑とした室内に不気味なほど軽妙に響く。千歌音がそこに坐しているとき、彼女は空気まで切り込んで活けているのだと、感じられた。額を流れる汗の量をふやしながら観衆は固唾をのんで、少女の大胆な手つきを見まもっていた。

花のない数本を、茎の長さや葉の位置に変化を与えて前面に配しているので、菖蒲いろの花弁に辿り着くまでの緑の奥行きが生れた。光琳の絵屏風の、金地に浮かびあがる抽象的な杜若(かきつばた)を思わせた。
剣山からすっくと伸び立つ大胆な燕子花をみせられた観衆は、鮮やかなその少女の花技に言葉を失っていた。活け花を前に句を捻るのも忘れて、しばしその造詣に魅せられている。しかし、そのとき一番の華は、そのできばえに満足した上品な笑みをほころばせている少女そのものだった。もしなにも活けるものを失ったとて、彼女は自分を活けることでその場を飾ることを怠りはしないのであろう。そのひと一輪があるだけで、どんな場所も空気がいれかわる。

とっておきの花があるのに、いったい何を焦ることがあっただろうか?
助力を差し伸べなかったことに、カズキは安堵した。




別れの挨拶を述べて、神社を辞そうとする少女のすっきりと美しい直線の背中に、カズキは声をかけた。

「姫宮君、今日はご苦労だったね。一時はどうなるかと気を揉んだよ」
「ねぎらいのお言葉、ありがとうございます。先生の用意してくださった燕子花がみごとでしたから、私の拙い華道の腕前でも補えることができました」
「ははは。そんなに謙遜しなくてもいいよ。それに、君の詠んだ俳句もすばらしかった。とっさにあんな句が詠めるなんて」
「ふふ。そうですね。なにやら私の一人勝ちだったようで申し訳ないけれど。燕子花ときけばふつう水面に群れ咲く紫の花列を思い浮かべるものですから。皆さま、びっくりしたでしょう」
「まったく君ほど才能にあふれるひとはいないね。体力馬鹿のうちの愚弟にも、君の爪の垢でも呑ませたいものだ。ゆくゆくは神社を継がねばならんから、暇をみてはいろいろ作法を教え込みたいところなんだがね」
「大神ソウマさんは…漢らしくてご立派な方です」
「学園じゃ、女生徒にけっこう人気らしいが、あれでも以外と一途なところがあってね。今日も幼馴染みの…」




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