置かれすぎた沈黙のあいだに、その声音が沈んでいく。
両肘を覆う軽い腕組みをして、千歌音は少し曇った顔を斜めに流した。自分が期待しすぎていたのだろうか。でも私たちはもう、ふたりだけの普通を、誰にも譲れない特別を、いつまでも揺らがない最高を、期待してもいい仲のはずだった。今さらこんな惨めな気持ちになるなんて。でも、姫子の答えをきくまでは、やっぱり逃げ出せない。その答えがどんなに最悪であっても。
──あ。いけない。また誤解させちゃう。またわたし、千歌音ちゃんを悲しませてしまうんだ…。もう二度と、哀しませないって約束したのに…。
所在なげに佇む千歌音をみた姫子の後悔が、エプロンの裾をぎゅっと握りしめさせた。千歌音の気持ちにいささか鈍い自分をあらためてきたつもりだったのに。
でも、こんなときどうしたらいいのか、姫子はもうとっくに心得ている。
愛すべき人の最初にくれた快活な笑顔を取り戻すように、姫子はすぐさま明るく首を振った。
「ううん、そうじゃないの。最初に食べて欲しいのは、いつも千歌音ちゃんだよ」
姫子は少しためらったが、やはりテーブルの上の料理品をナプキンで覆ってから、あらためて向き直った。
千歌音は許しを得た合図と知って近づき、すこし邪険にされたお返しとばかり姫子の身体を斜め後ろから絡めとるように腰に手を回した。姫子の言葉と裏腹に隠されたものに不満が募っている。もう少し、仔細な申し開きを求める、さもなくばこの腕は貴女をずっと離さない。その唇がほんとうを囁いてくれるまで、私は貴女を逃さない。黒く鋭く光る聡明な瞳がそう尋問している。それでも、あくまで問いただす声はやさしく。
「だったらどうして、私に隠しておくのかしら?」
「あの、ごめんね…自信がなかったから…もっと、ちゃんとできてから食べて貰いたかったの」
左右の人さし指の先を突きあわせて、眉をごめんなさいの三角形にしながら、詫び顔で謝る姫子を前にすると、もうそれ以上問いただす気にもなれない。何より自分の最悪が、姫子自身の口から否定されたことが嬉しくて。そしていちどきでも疑ってしまった自分が恥ずかしくて。
生まれ変わって、ふたたび巡り会って、お互いの好きを交わしあったというのに。毎日こころが離れていないことを確認しないと怖い。それが女の子どうしの愛で、そうしないといつでも、ふたりがただの同居人で、親友に終わってしまいそうになるのだから。
あいかわらず愛されることへの臆病さを顧みて、相好を崩した千歌音の笑いのなかには、自嘲の笑みも含まれていた。そして、あいかわらず姫子が姫子らしさを失っていないことにも、微笑ましく思って。
姫子はとても用心深い。写真にしても千歌音がいくら会心作だと誉めても、期日まで現像を繰り返す。それでも出品を渋っていたりする。
もちろん職業レベルの批評眼を自分が備えている訳ではないから、贔屓(ひいき)目といえばそれまでだけれど…。努力を重ねることは忘れてはいない。ただ実るのが遅いから、優柔不断と受け取られかねない。それだけだ。
「いつも最高のものができるとは限らないわ。それに…例えどんな物でも、姫子が作ってくれたものなら私にとっては、すべてご馳走よ。前にも言ったでしょう?」
「じゃあ、一応味見だよ。もし、不味かったらちゃんと言ってね?そうしないと、上手くなれないから」
「ええ。約束するわ。それが姫子のためならね」
常日頃の甘い玉子焼きにすっかり馴染んだ口元が、少し苦味のある笑みを刻む。
なんて私の姫子らしい理由だろう。私は姫子に最善など、望んではいない。姫子は姫子らしく頑張ればいい。そう願っている。でも、一緒にこの姫宮邸で暮らしはじめて、なんでも完璧にこなそうとする私の性分が、姫子をそんなふうに焦らせているのだとしたら…。そんな不安が心をかすめてしまったけれど、元気を戻した姫子の様子ですぐさま薄れてしまう。姫子は私の心の太陽だ。春のそよ風だ。彼女の微笑みひとつで、胸の奥から明るく軽くなれる。
【目次】神無月の巫女二次創作小説「最高の晩餐」
両肘を覆う軽い腕組みをして、千歌音は少し曇った顔を斜めに流した。自分が期待しすぎていたのだろうか。でも私たちはもう、ふたりだけの普通を、誰にも譲れない特別を、いつまでも揺らがない最高を、期待してもいい仲のはずだった。今さらこんな惨めな気持ちになるなんて。でも、姫子の答えをきくまでは、やっぱり逃げ出せない。その答えがどんなに最悪であっても。
──あ。いけない。また誤解させちゃう。またわたし、千歌音ちゃんを悲しませてしまうんだ…。もう二度と、哀しませないって約束したのに…。
所在なげに佇む千歌音をみた姫子の後悔が、エプロンの裾をぎゅっと握りしめさせた。千歌音の気持ちにいささか鈍い自分をあらためてきたつもりだったのに。
でも、こんなときどうしたらいいのか、姫子はもうとっくに心得ている。
愛すべき人の最初にくれた快活な笑顔を取り戻すように、姫子はすぐさま明るく首を振った。
「ううん、そうじゃないの。最初に食べて欲しいのは、いつも千歌音ちゃんだよ」
姫子は少しためらったが、やはりテーブルの上の料理品をナプキンで覆ってから、あらためて向き直った。
千歌音は許しを得た合図と知って近づき、すこし邪険にされたお返しとばかり姫子の身体を斜め後ろから絡めとるように腰に手を回した。姫子の言葉と裏腹に隠されたものに不満が募っている。もう少し、仔細な申し開きを求める、さもなくばこの腕は貴女をずっと離さない。その唇がほんとうを囁いてくれるまで、私は貴女を逃さない。黒く鋭く光る聡明な瞳がそう尋問している。それでも、あくまで問いただす声はやさしく。
「だったらどうして、私に隠しておくのかしら?」
「あの、ごめんね…自信がなかったから…もっと、ちゃんとできてから食べて貰いたかったの」
左右の人さし指の先を突きあわせて、眉をごめんなさいの三角形にしながら、詫び顔で謝る姫子を前にすると、もうそれ以上問いただす気にもなれない。何より自分の最悪が、姫子自身の口から否定されたことが嬉しくて。そしていちどきでも疑ってしまった自分が恥ずかしくて。
生まれ変わって、ふたたび巡り会って、お互いの好きを交わしあったというのに。毎日こころが離れていないことを確認しないと怖い。それが女の子どうしの愛で、そうしないといつでも、ふたりがただの同居人で、親友に終わってしまいそうになるのだから。
あいかわらず愛されることへの臆病さを顧みて、相好を崩した千歌音の笑いのなかには、自嘲の笑みも含まれていた。そして、あいかわらず姫子が姫子らしさを失っていないことにも、微笑ましく思って。
姫子はとても用心深い。写真にしても千歌音がいくら会心作だと誉めても、期日まで現像を繰り返す。それでも出品を渋っていたりする。
もちろん職業レベルの批評眼を自分が備えている訳ではないから、贔屓(ひいき)目といえばそれまでだけれど…。努力を重ねることは忘れてはいない。ただ実るのが遅いから、優柔不断と受け取られかねない。それだけだ。
「いつも最高のものができるとは限らないわ。それに…例えどんな物でも、姫子が作ってくれたものなら私にとっては、すべてご馳走よ。前にも言ったでしょう?」
「じゃあ、一応味見だよ。もし、不味かったらちゃんと言ってね?そうしないと、上手くなれないから」
「ええ。約束するわ。それが姫子のためならね」
常日頃の甘い玉子焼きにすっかり馴染んだ口元が、少し苦味のある笑みを刻む。
なんて私の姫子らしい理由だろう。私は姫子に最善など、望んではいない。姫子は姫子らしく頑張ればいい。そう願っている。でも、一緒にこの姫宮邸で暮らしはじめて、なんでも完璧にこなそうとする私の性分が、姫子をそんなふうに焦らせているのだとしたら…。そんな不安が心をかすめてしまったけれど、元気を戻した姫子の様子ですぐさま薄れてしまう。姫子は私の心の太陽だ。春のそよ風だ。彼女の微笑みひとつで、胸の奥から明るく軽くなれる。
【目次】神無月の巫女二次創作小説「最高の晩餐」