先日のことですが、30代男性が、妻子6人を刺殺するという衝撃的な事件がありました。妻もおなじく30代前半。夫婦は会社員の共働き、子どもは5男1女の子だくさん。父は子煩悩で勤務態度もまじめとの評判。
いったい、この家族になにがあったのか。
想像できることは、育児や家事負担のストレス、仕事との両立。
子を持つ親の苦労はひとしなみではない。しかし、子を持ったからといって、親は親らしく振る舞えるわけでもない。公的支援は拡充しつつあるとはいえ、身近に子育ての援助を頼める人のいない夫婦は孤立しがちですし、会社員であっても乳幼児を抱えた親は両立が厳しい。
本音をいえば、当の子ども自体がストレスになっている場合もあるでしょう。
親御さんの児童虐待も減らない。そもそも、子どもは大人の自由にはならないものです。しつけや道徳心を育む前に、0歳児から天才に育てるなどの世間のエリート意識に騙されて、学ぶことの本質的な意味をみずから見いだせないまま成人し、周囲を混乱させ、世間を騒がせるために行動する。アドラー心理学が、それを教えています。
この被害者と加害者が夫婦であった家庭の、お子さんを着飾らせて写した写真が、なおさらいびつな教育観を語っているように思えます。結婚でき、子どもも生めたわたしたちは社会の勝ち組、お子さんを自分のステータスだと語るアクセサリーだと考えていないでしょうか。ブランド物のように、子どもをひけらかすものだと考えていやしないだろうか。いくら、高価なおもちゃを与えてもらっても、こころに響かない言葉を浴びせ続ける身近な親を、子どもは信用しなくなります。子どもも、おとなも、完ぺきではないのです。
家族イベントを商品パッケージとして消費しなければいけない、というような義務感が、昨今は大きすぎるのではないか。世帯収入が多く、海外旅行にも出かけ、プレゼントも送るような裕福な家庭で育ったけれど、高い学費をかけてもらったけれど、大都会で好き放題に生きて、地方で暮らす老いた親の面倒を見ない、親に会いに来ればなにかと資産分けの話をしだす人もいます。お子さんが側にいるのに、スマホでSNSチェックばかりしている親。自分の都合のいい、耳に心地いい情報しか局地的に見聞きしなくてすむ。そうなると、子どもがもしくは配偶者や老親が思い通りに動かないことに苛立ってしまう。家族は、自分の奴隷ではない。ありがとう、お願いしますね、で動くのが家族です。タダでこきつかえばいいというものではない。面倒なことを押し付け、言葉も荒い人からは、周囲が離れていってしまう。家族や友人は、フォロワーじゃないんですよ。SNSに慣れると、周囲はみんな輝く自分をいいね!してくれる背景だと思い込みがちです。
この若い父親は、なぜ愛する我が子と妻を手にかけたのでしょうか。
息抜きに家でちょっとごろ寝していたのを愚痴られたのかもしれない。ゲームやギャンブルにうつつを抜かしたか、酒に溺れたか。子を抱えた妻からすれば、夫は大きな子どもに見える。いっぽう、夫から見れば妻は口うるさい。その逆もあるでしょうね。「うちの夫は仕事ができない」なんていうドラマや、妻が女ともだちと共謀してDV夫を殺すドラマがありましたけれど、女性を増長させてマスコミは何がしたいのか。夫婦が日頃から尊敬しあっていれば、子も親を見下したりはしません。諍いがあれば、子どもも不安定になり、問題行動が多くなってしまいます。ひとを愛せなくなってしまい、肩書など見えやすいもので人の良し悪しを決めつけてしまうようになる。親が望む「こうであるべき理想の子ども」に子がなりきれなかったとき、子どもは可哀そうな自分をアピールしていつまでも構ってもらいたがるようになります。こういう大人、いますよね。
恐ろしいことを言いますが、家族を殴ったり蹴ったりはしないまでも、それに近い感情を抱かない人はいないのではないでしょうか。暴力沙汰は男性加害者の方が多いのですが、昨今は凶悪犯罪を女性が起こすケースも増えています。
最近、自己の感情管理を大事にしようという「アンガーマネジメント」が提唱されています。臨床心理学者などが市民講座を開いていますよね。それだけ、この世には、自分のからだどころか、こころの均衡まで制御できなくなってしまった方が多い。認知症になると、穏やかな気性の人でも怒りやすくなります。
怒りを爆発させると、パニック障害になり、正常な判断を下せなくなります。交感神経が過敏になって不眠になり、さまざまな体調不良がおこる。場合によっては、自分や他人を巻き込んだ死をもたらすことがあります。この事件のように。妻子がいなくなってしまえばいい、という最悪の結論を、この加害者は下したのです。家族はツイッターのフォロワーのように、ボタン一つで消すことはできません。
精神科医の和田秀樹さんの著者に『感情的にならない本──不機嫌な人は幼稚に見える』(新講社・2013年)があります。この背表紙だけ見て、自分の胸に突き刺さります。私も過去のいやな出来事を思い出して攻撃的にブログ記事を書いていましたし。身内が亡くなったときに嬉しそうに笑った同級生。いまだに憎悪しています。学力を上げたのも、資格取得したのも、収入を上げたのも、その怒りがあったからです。
思い込みにとらわれると、それに都合のいいどす黒い記憶を集めてくるように、脳が動き出すそうです。これは脳の自己防衛プログラムで、うまく働けば危機回避能力が高まる。「他人は変えられない、自分を変えるしかない」と言っても、なぜ自分だけが損をするの、という理不尽な思いが消えない。被害者意識に延々と嵌まって抜け出せない。
まれに感情を爆発させてしまう人は、几帳面でまじめな人が多い。
他人の冗談に立腹し、悪意を聞き流せない。しかし、生きていくうえで、働くうえで、感情をうまく操作することは求められます。よく言われているのは、頭に血が上りそうになったら、その場を離れること、6秒ぐらい数をかぞえて深呼吸すること。軽い運動も心身の健康維持に役立つとされています。ひととの距離の置きかたも考え直す。あなたを理解してくれない人にこだわる必要はありませんが、なぜ理解してくれないかも考えたほうがいいですよね。
いったい、この家族になにがあったのか。
想像できることは、育児や家事負担のストレス、仕事との両立。
子を持つ親の苦労はひとしなみではない。しかし、子を持ったからといって、親は親らしく振る舞えるわけでもない。公的支援は拡充しつつあるとはいえ、身近に子育ての援助を頼める人のいない夫婦は孤立しがちですし、会社員であっても乳幼児を抱えた親は両立が厳しい。
本音をいえば、当の子ども自体がストレスになっている場合もあるでしょう。
親御さんの児童虐待も減らない。そもそも、子どもは大人の自由にはならないものです。しつけや道徳心を育む前に、0歳児から天才に育てるなどの世間のエリート意識に騙されて、学ぶことの本質的な意味をみずから見いだせないまま成人し、周囲を混乱させ、世間を騒がせるために行動する。アドラー心理学が、それを教えています。
この被害者と加害者が夫婦であった家庭の、お子さんを着飾らせて写した写真が、なおさらいびつな教育観を語っているように思えます。結婚でき、子どもも生めたわたしたちは社会の勝ち組、お子さんを自分のステータスだと語るアクセサリーだと考えていないでしょうか。ブランド物のように、子どもをひけらかすものだと考えていやしないだろうか。いくら、高価なおもちゃを与えてもらっても、こころに響かない言葉を浴びせ続ける身近な親を、子どもは信用しなくなります。子どもも、おとなも、完ぺきではないのです。
家族イベントを商品パッケージとして消費しなければいけない、というような義務感が、昨今は大きすぎるのではないか。世帯収入が多く、海外旅行にも出かけ、プレゼントも送るような裕福な家庭で育ったけれど、高い学費をかけてもらったけれど、大都会で好き放題に生きて、地方で暮らす老いた親の面倒を見ない、親に会いに来ればなにかと資産分けの話をしだす人もいます。お子さんが側にいるのに、スマホでSNSチェックばかりしている親。自分の都合のいい、耳に心地いい情報しか局地的に見聞きしなくてすむ。そうなると、子どもがもしくは配偶者や老親が思い通りに動かないことに苛立ってしまう。家族は、自分の奴隷ではない。ありがとう、お願いしますね、で動くのが家族です。タダでこきつかえばいいというものではない。面倒なことを押し付け、言葉も荒い人からは、周囲が離れていってしまう。家族や友人は、フォロワーじゃないんですよ。SNSに慣れると、周囲はみんな輝く自分をいいね!してくれる背景だと思い込みがちです。
この若い父親は、なぜ愛する我が子と妻を手にかけたのでしょうか。
息抜きに家でちょっとごろ寝していたのを愚痴られたのかもしれない。ゲームやギャンブルにうつつを抜かしたか、酒に溺れたか。子を抱えた妻からすれば、夫は大きな子どもに見える。いっぽう、夫から見れば妻は口うるさい。その逆もあるでしょうね。「うちの夫は仕事ができない」なんていうドラマや、妻が女ともだちと共謀してDV夫を殺すドラマがありましたけれど、女性を増長させてマスコミは何がしたいのか。夫婦が日頃から尊敬しあっていれば、子も親を見下したりはしません。諍いがあれば、子どもも不安定になり、問題行動が多くなってしまいます。ひとを愛せなくなってしまい、肩書など見えやすいもので人の良し悪しを決めつけてしまうようになる。親が望む「こうであるべき理想の子ども」に子がなりきれなかったとき、子どもは可哀そうな自分をアピールしていつまでも構ってもらいたがるようになります。こういう大人、いますよね。
恐ろしいことを言いますが、家族を殴ったり蹴ったりはしないまでも、それに近い感情を抱かない人はいないのではないでしょうか。暴力沙汰は男性加害者の方が多いのですが、昨今は凶悪犯罪を女性が起こすケースも増えています。
最近、自己の感情管理を大事にしようという「アンガーマネジメント」が提唱されています。臨床心理学者などが市民講座を開いていますよね。それだけ、この世には、自分のからだどころか、こころの均衡まで制御できなくなってしまった方が多い。認知症になると、穏やかな気性の人でも怒りやすくなります。
怒りを爆発させると、パニック障害になり、正常な判断を下せなくなります。交感神経が過敏になって不眠になり、さまざまな体調不良がおこる。場合によっては、自分や他人を巻き込んだ死をもたらすことがあります。この事件のように。妻子がいなくなってしまえばいい、という最悪の結論を、この加害者は下したのです。家族はツイッターのフォロワーのように、ボタン一つで消すことはできません。
精神科医の和田秀樹さんの著者に『感情的にならない本──不機嫌な人は幼稚に見える』(新講社・2013年)があります。この背表紙だけ見て、自分の胸に突き刺さります。私も過去のいやな出来事を思い出して攻撃的にブログ記事を書いていましたし。身内が亡くなったときに嬉しそうに笑った同級生。いまだに憎悪しています。学力を上げたのも、資格取得したのも、収入を上げたのも、その怒りがあったからです。
思い込みにとらわれると、それに都合のいいどす黒い記憶を集めてくるように、脳が動き出すそうです。これは脳の自己防衛プログラムで、うまく働けば危機回避能力が高まる。「他人は変えられない、自分を変えるしかない」と言っても、なぜ自分だけが損をするの、という理不尽な思いが消えない。被害者意識に延々と嵌まって抜け出せない。
まれに感情を爆発させてしまう人は、几帳面でまじめな人が多い。
他人の冗談に立腹し、悪意を聞き流せない。しかし、生きていくうえで、働くうえで、感情をうまく操作することは求められます。よく言われているのは、頭に血が上りそうになったら、その場を離れること、6秒ぐらい数をかぞえて深呼吸すること。軽い運動も心身の健康維持に役立つとされています。ひととの距離の置きかたも考え直す。あなたを理解してくれない人にこだわる必要はありませんが、なぜ理解してくれないかも考えたほうがいいですよね。