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ネットサービスのことにはとんと疎い私ですが、最近いやでも目にするAIなんとか。
聞けば聞くほど不安が増すこの言葉。
イラストを無料で自動作成してくれるサービスはAI絵師とも呼ばれ、イラストレーターたちの脅威となっています。手塚治虫の漫画をAIでつくった、というニュースもありましたね。絵心のない経営者がAIで作成した絵画がコンクールで優勝してしまったという驚愕の事実も発生しました。
オープンAIという米国の新興企業が開発した対話型AIの、チャットGPTはすでに問題視されています。
人間が書いたものと遜色ない自然らしい文章が作成できるとのこと。小説や学位論文も自動でできてしまう。そこで、国内の各大学が声明を発表し、学生が許可なくAIでレポート作成しないようにとの指示が。けれども、AIで作成したかを見分けるのは難しいとか。自分らしい創作だとか、独自性のある研究とか、その線引きはどこにあるのでしょうか。
日進月歩の進化を遂げるAIの学習能力はすさまじい。
著作権のあるデータや企業などの機密も取り込んでしまうため、情報漏洩の危険性もあり、倫理上の問題も指摘されはじめました。イタリアではチャットGPTをブロックしたとか。
AIによる描画のイラストなるものを、いくつかのブログで拝見しました。
日本の言語に対応できていないとか、精度の高いコマンドを与えるとか、課題はあるでしょうが。萌え絵テイストのイラストまでできてしまうとあって、お絵かき大好きな皆さんの関心は高め。イロモノ画像を自分でつくれたらポルノ雑誌もいらんでしょうね。でもAIはそうした危険コンテンツをウェブ上でブロックしてくれるらしいですが。
もし作家がAIで挿絵をつくれたら。広報誌などでいらすとやの無料イラストではなく、使えるようになったら。学者や作家の論文をAIが書いてくれるようになったら。さらには、子どもたちに学ばせているプログラミングまでできてしまうとなったら。わたしたちが目指す働き方が変わってしまいます。内向的な子どもたちが憧れる仕事はなくなってしまうのでは。
従来、創作する仕事、ひとの情動に作用するような職種は、人工知能で置き換えられないとされてきました。
いっぽう介護や農林水産業などの肉体労働は、単純作業なのでロボットが担うようになってくれるとか。
でも、どうでしょうか?
現実はまだそうなっていません。人間の手先の細かい作業をロボットに学習させるのは難しいからです。そして、ウェブコンテンツを創作する作業はもともと誰でもできやすかった、からです。コピーがいくらでもできるから。PCさえつかえれば、ネットにつなげれば。そのいっぽうで、対人接触や、有機的な技術の習得に時間がかかる作業は一朝一夕で身につくものではないからです。ヒューマンスキルも磨かれない。ウェブデザインの仕事がなぜ在宅作業でフリーランスでもできるのか、考えてほしい。企業が正社員として雇いたくないからです。
すでに多くのITメガ企業では、大量の人員削減がはじまっています。
経済雑誌がITスキルを! 語学を! リスキングせよ! と訴えているそばで、早くも高度な技術者や通訳翻訳に携わる業務が自動化されはじめている。知的で頭のいいホワイトカラーの仕事がAIに奪われているのです。法律文書を読み込んだり、判例を検索したりする、情報を分析する仕事もいずれ奪われる。映画の批評などもおススメ文をAIが教えてくれてしまう。時短で映画の中身を知らせたり、ゲーム解説をするユーチューバーの仕事もいずれなくなります。そもそも俳優や歌手ですら、生身の人間でなくてよくなるのかもしれない。おススメが勝手に出てくるのならば、コマーシャルも広報もいらない。ライティングもしてくれるので、新聞記者もいらない。怖いことです。
私のような経理事務の職は、自動化でまっさきになくなるといわれ続けていました。
けれども、それは単純に数字を入力する作業だけの話。すなわち大企業の管理部門にいる経理補助的な作業メンバーは人員過剰で仕事を失うのかもしれませんが。もともと、その可能性があったから、大企業や公務員で傍だの受付や一般事務的な仕事は非正規に置き換えられてしまったのです。中小企業で経理以外の総務やらなんやらなんでもかんでもやらされて、営業もできてしまうほどの、代わりのきかない事務員ならば、給与は低いが、とりあえず仕事はあるのかもしれません。その会社がつぶれなければ、の話ですが。ようするにAIのコストが人件費を上回るうちは、その仕事は人間が担った方がいいと判断される。
けっきょく、そのときどきで予想される仕事のありかただとか。社会の未来像だとかは、うかつに乗っても馬鹿を見るだけではないでしょうか? この職種だから、業界だから安泰だとか、資格や学歴さえあれば食いつなげるとか、そういう安定路線がなくなっていくわけです。
技術がいくら進化しようとも、人間の生命活動を維持するため、衣食住をささえる仕事は最低限は必要なのでなくならないでしょう。クリエイターぶったひきこもり仕事はもともと平成令和になって爆発的に需要が増したものが多い。参入の敷居が低ければ、そもそもAIに乗り替わってもしかたがないのかもしれません。AIイラストでも、ただの挿絵だけ、背景描きのアシスタントは減るでしょうが、キャラを商品化できる程の物語がつくれる漫画家ならば生き残れるでしょう。アーティストと呼ばれる職種の、オーソリティが問われ始めているのです。これはダゲレオタイプの写真が登場して絵画観を変えてしまった19世紀以来の、パラダイムシフトと言えるでしょう。
ですから、これからの生き方としては。
どの職種にいるから、この業界にいるから、と安心するのでも、それをアイデンティティにするのではなく。どんな仕事でもいいので、生きるためにはなにができるかを考えて働いていくことではないでしょうか。
それと政府は、農林水産業や製造業などの技術の継承の時間がかかり、かつ、国民の暮らしを支えるような基幹産業を軽くみずに、支援をしてほしいです。特に食に関わる仕事の人材育成は国土保全や自然環境保護、外資本の進出を防ぐ手立てになります。いくら海外受けがいいからといって、なんとかAKBみたいな娯楽のコンテンツ産業に税金をつぎ込み過ぎたのはおかしい。地方からの人材流失にもつながり、働き手不足や耕作放棄地、空き家の増加、少子高齢化を招いています。
それと仕事というのは、収入の多寡だけで価値が決まるものではなく。
後世に伝えていかねばならない技術や情報もあります。ウェブ上でコンテンツ化できない、文字や描画に置き換えられないような、有機的な組織活動上の業務は人材育成をしっかりしないと、人間の脳や運動能力が退化し、人工知能に生命活動や社会維持まで握られてしまうような、恐ろしいディストピア社会になりかねません。それこそ手塚治虫が「火の鳥」シリーズで描いたような…。
ちなみに私は対話型AIを、今のところ、使いたいとは思いません。
サブマシンのレノボに、話しかけてくる機能があるけれども、いつもうっとおしいと思っていますから。IT家電で声をかけたら答えてくれるものとかあるらしいですが、部屋で機械相手に一人で話しかける自分の老後って想像したくないです。わかりきった答えしかくれない機械なんて、相手にできますか? 散歩しながら近所の人に挨拶したり、世間話したほうが、よほど健康にいいと思いますけどね。わたしたち、人間は不確実なコミュニケーションをしているからこそ、おもしろく生きられる存在なのですから。
( 2023/04/09)