陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

「偶像の下描き」(十)

2010-12-30 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空・姫神の巫女


「千歌音ちゃん?」
「わたしのだいじなお友達です。とても、たいせつな人で。やっと、廻りあえた二枚貝のひと…」
「……二枚貝」

その言葉に聞き覚えがあった。
私の呟きに応ずるように、少女の声は弾みをつける。頬にほのかな朱が散った。私はそれをもはや、ありきたりな表情だとしてみにくいとは思わなかった。

「前にレーコ先生の漫画で、そのエピソードがあったんです。ふたりの女の子が悲しい事件で離ればなれになっちゃうけど、また再会するっていう、とてもすてきなお話。そのことを話したら、そのふたりが出てくるものを千歌音ちゃんがぜひ読んでみたいって言われたから」

ああ。そうか。
世の女という女どもは、えてして不幸に喘ぐ物語のヒロインを、あたかも自分の歩みをなぞったものであるかのように思い込む。こいつもそのテの妄想癖なのだろう。困ったもんだ。ごくたまにただの創作屋にカウンセラー並みのセラピーを求めてくる読者もいるが、それは創作と癒しとをはき違えている。

「でも、この雑誌に載ってるのはそんな感動話と違う」
「それは知ってます。当のコミックスは千歌音ちゃんももう読んでもらっているんです。でも、レーコ先生はたまに自分の過去のキャラを新しいお話に登場させてくれることがあって。ファンの間では、それがひそかに評判なんです。だから、わたし、いつもレーコ先生の新作はかならずチェックしていて。あの物語のふたりが、いつかきっと出てくるのを楽しみに待ってるんです」

目をきらきらさせながら、話す少女をみて、かたくななこころにすこしだけ温かいものが流れた──私の描く登場人物ならば、多かれ少なかれ、そのような反応を示すだろう。しかし、私は紙切れのうえで生きているインクにかたどられた存在ではない。ひとつ知れば、そのひとつのたびに、笑ったり、泣いたりできる、つごうのいい感性の持ち合わせがない。だからといって、こころ動かされなかったと言い貫けば、それは嘘になる。

そのときの私の感情をきれいに言い表すとしたら、羨望だろうか。
まさしく私はこのあまりに純粋すぎる読者に憧れていたのだ。この少女が携えていたものは、すばらしい創作者に必要な要件に他ならないものだった──素直な読者であるべきこと。

創作者になったときから、私は人形劇に見える、あのたくみな黒子の手をどんな作品にも見てしまうのだ。
漫画というせせっこましい劇場のうちで登場人物どもを踊らせている操りの手を。その手がどこから伸びているのか露知らず無心に頁をめくり、一コマずつの台詞に挿絵に胸弾ませてこれたのは十三歳までだった。あの子供時代のように、我を忘れて物語に浸りきることができたのならば、どれほどいいことだろう。世界が思うこと運ばなかったとしても理不尽に感じられず、他人が望むような反応を示さずとも諦めたりしない。いじわるに人の行動の二歩も三歩も先読みをして、コケにしたり笑いに持っていったりなぞしない。そんな大人になれたことだろう。

自分の買った漫画がぼろぼろになっても、捨てて、また買いなおせばいいや、とは思わなかった。
一刻でも早く、連載が待遠しかった漫画は、のちにコミックスになったとしても、特別な感慨が残ったものだった。この少女が命がけで拾い集めたように、新作との出逢いは、ただそれのみが純粋で、新鮮で、かけがえのないものなのだ。私はそのようなときめきを、いつのまにか、手放してしまったのだ。



【目次】神無月の巫女二次創作小説「ミス・レイン・レイン」







この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「偶像の下描き」(十一) | TOP | 「偶像の下描き」(九) »
最新の画像もっと見る

Recent Entries | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空・姫神の巫女