「宮様はね、器用貧乏なんだよ」
「…え?」
「いろんな道がありすぎて。いろんなことができすぎて。あたしはさ、単純に鉄砲玉みたいにヨーイ、ドン!でスタートするだけ。それは同じ的に矢をあてるのと変わらないかな?でもね、まっすぐゴールに向かって走るだけじゃ、スプリンターはつとまらないんだよ」
急に立ち上がって、手を引っ張られ、石階段の頂上に足を促された。
「お一人様限定!早乙女真琴さんのショータイムのはじまり、はじまり~」
真琴は、頂上で両腕を水平線にひろげてバランスをとりつつ、ぎりぎり石段の端にかけた片足を交互に上げ下げしながら、くるくる向きを変えてゆく。まっすぐ進めないぎこちない兵隊人形が歩いているみたいに。
千歌音ははらはらして、それを見守っている。
よっ、と威勢のいいかけ声ひとつで、真琴の頭と足がいれかわった。
逆立ちをした真琴が、掌で歩いている。鍛えられた脚は青い天を指していた。泥のついたスニーカーの足裏で空を蹴りながら、真琴は歩いてゆく。
「危ないわ。早乙女さん」
「わぁー、ここから眺めてると、青空を見下ろした気分になるなあ。空が海で、街がさかさまに浮かんでるよ、宮様」
腕で大地を踏みしめるほどの運動神経ぐらいもちあわせている。けれど、その歩き方は、「姫宮千歌音」ならけっしてできないものだった。
真琴が呑気な逆さまの笑顔を振りまきながら、突っ立ている。
両掌が土を撥ねて、少女の体が後ろに反り返って一回転する。吊り輪からフィニッシュを決めた体操選手よろしく、真琴はつま先をそろえて、きれいに着地した。
「すごいわね、早乙女さん」
千歌音は顔をゆるめて賞賛の手を叩く。真琴は得意そうに頷いてみせる。えへんと鼻を鳴らすしぐさも、勝利に慣れたものの顔つきとして気持ちのいいものだった。
「足だけ鍛えてるとね、全身の筋肉がアンバランスに育っちゃうのさ。だから、ときどきこうして、使わない筋肉を酷使してみたりする。そうすると足腰だけに負担がかからなくなるんだ。それに逆さまに歩くのもおもしろいよね。ふだん見慣れている風景がちがってみえてきてね、楽しいんだ。じつはこれ、姫子が教えてくれたんだよ」
「ひめ…いえ、来栖川さんが?」
クラスメイトの噂話など意にも介しそうにない宮様が、平凡な少女のことに興味を示したのが真琴には意外だった。なんだ、宮様もそうだったのか。真琴は遠い人を急激に近くに感じて、いちだんと声を弾ませた。