〇八年六月六日の訃報。
作家の氷室冴子さんが亡くなったと聞き、びっくりしました。
最近あまり本をみかけないなと思っていたら、九〇年代後半の『海がきこえる』より主だった執筆活動はされていなかったのですね。
五十一歳という年齢はあまりにも若すぎます。職業作家として自立するまで、極貧生活をおくりかなり苦労されたそうです。その頃の不摂生がたたったのかもしれません。
氷室先生の代表作といえば『なんて素敵にジャパネスク』や『ざ・ちぇんじ!』
私は山内直美先生作画の漫画版から入ったので、原作のほうがかなーりナマナマしく、男女のあれやこれやなんかを書きつづってあってびっくりしました。古典が好きになったのも、この二作のおかげです。夢枕獏の『陰陽師』シリーズもありますが、いまやラノベでは定番の平安ファンタジーの元祖といえば、この方なのかもしれません。
すこしまえにネットで検索して知っていたのですが、『ざ・ちぇんじ!』ってミュージカルにもなっていたんですね。双子の男女がいれかわる『とりかえばや物語』を大胆に解釈したこの作品、いまでも大好きです。『マリア様がみてる』の文化祭劇のネタにもつかわれていたので、もしや今野緒雪先生もファンだったのではないでしょうか。
ちなみに『ジャパネスク』は漫画のコラムのなかで触れてあったのですが、富田靖子主演でドラマ化されたそうです。観てみたかったけれど、ビデオとか出てないんですよね。
氷室作品には、けっこうヴァイタリティあふれるヒロインが登場します。
たとえば、『ジャパネスク』の瑠璃姫。幼なじみの婚約者はいるが、帝に求婚されたり、美貌の僧侶につけ狙われたり、政界の陰謀を暴いたりと大活躍のラヴアドベンチャー。はじめて読んだのは中学生のときでしたが、つづきが楽しみでなりませんでした。その頃は色恋の機微もわかりませんでしたからねえ。(今もそうでしょ?)
結婚を人生の安泰とかんがえる習わし、古代も現代もかわらないのかもしれません。
ここ十年あたり活動されていなかったのは、おからだが悪かったのか、それとも…。
作家をされている方に失礼なのですが。若い頃、とくに職歴がなく、学生作家としてデヴューした方ってけっこう中年期をむかえるころまで創作をつづけるのが難しいのではないでしょうか。新人の頃こそ若い感覚でうけいれられるのですが、年を経るにつれてだんだん世の中の動きをつかむのが難しくなってくる。人生経験値が浅く、付き合う人間も限られてくるので、キャラも類型化してしまうのです。
これはスポーツ選手や芸能者にもあてはまりますね。
専門をきわめすぎたために、社会に順応できない。いっけん華やかな世界に見えますが、おそろしく地味な作業のくりかえしです。
ライトノベルの作家さんで一般小説に移行する方もおられるのですが、氷室さんはどうだったのでしょう。
頭のなかはファンタジーでいっぱい。でも身体はふるくなるし、心はこわれてしまいます。いつまでも少女のままではいられない。
不倫だの、離婚だの、家庭崩壊だの、子どもの非行だの、老人介護だの。現代小説でテーマになっている目をそむけたくなる事実から逃げられつつも、ぎりぎりファンタジーにのっからなくていい分野がライトノベルなのです。しかし私たちがそれを消費する年齢はかぎられています。『マリみて』が二〇代以上の男性陣によってヒットしたように、少女小説も萌え
カルチャーの一端として回収されていく時代の流れのなか、閨秀作家が女の子らしい生き方を提案していくのはむずかしい。なぜなら最先端のトレンドをつかんでいるのは安野モヨコなどの若い漫画家のほうで。人気漫画はドラマ化されますが、ライトノベルはアニメ化されても実写にされることはあまりありません。(名作アニメとなって数年後に実写ドラマになるものならよくありますが)
ところで『ジャパネスク』の漫画は山内先生の体調不良のため連載打ち切りになっていたのですが、二〇〇〇年代に復活してコミックスが刊行されていました。絵柄がかわっているのでびっくりしたけれど。そういえば原作のコバルト文庫のほうも、挿絵がいまふうなカワイイ系にかわっているんですよね。前の卵形の顔のシンプルなイラストレイターさんの作風もけっこう好きでした。
『ジャパネスク』は、執拗にお見合いをすすめるお母様との確執から生まれたものであるらしいです。なんだか『マリみて』の祥子さまの境遇と似てますよね。自分にも覚えがないわけじゃないですが(苦笑)
五十一歳という年齢は、作家の少女年齢としては長寿だったのかもしれません。
ご冥福をお祈りいたします。