陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

オンライン美術全書─複製電子時代の芸術─

2008-03-19 | 芸術・文化・科学・歴史
小さなころの誕生日のプレゼントといえば、かならず事典でした。家の商売の風向きがよかった時代には、両親は他の姉妹にはエレクトーンを買い、私には学研の学習百科事典シリーズを与えたのでした。その項目を毎日すこしずつですが、寝る前に読むのが楽しみでした。百科事典には、学校の教科書からつまひじきにされていた、いろんなことが載っていたのです。

所属していた大学の生協では、たまにワゴンセールがあって、月に一度はCDが割引で売られていました。ある日、思わぬ掘り出し物が。新装版を購入したために、大学図書館からはじきだされた、ブリタニカ百科事典です。一冊数百円と破格の値札が、私の目を惹きました。哲学と美術の巻をまよわず購入。
このブリタニカ百科事典は、大項目主義を採用し、項目の最後に当時の研究の大家が書いた参考図書が二、三冊あがっており、とても便利でした。高校生時代に進学祝いとして買ってもらった『世界美術史』(メアリー・ホリングワークス著、木島俊介監訳、中央公論社、一九九四年)は、豪奢なつくりでもったいなくて開けなかったのですが、この古書なら手あかを気にせず臆面もなく開くことができます。かつ、マーカーをひいたり、参考書がわりとして使い勝手がありました。

私が買った『ブリタニカ』は英語で書かれた原版Encyclopædia Britannicaの第十五版を日本で翻訳し『ブリタニカ国際大百科事典』として発売されたものです。当時からこうした事典類はCD-ROMなどパッケージ化されて発売されるようになり、冊子体は終焉をむかえたわけです。しかし、私にはPCでしかみれない事典類にはかなり抵抗がありまして、かたくなに古めかしい事典を愛好していました。
とはいえ、やはり七〇年代の発行物。しかも、美術だけの専門事典ではなく、百科事典のなかの一シリーズです。これが編纂されるまでの間に情報はどんどん蓄積されます。刊行した時点でもうそこに記載されたことは役に立たない。現在、Wikipediaなどネット上に巨大なオンライン百科事典が誕生し、日々膨大なアクセスがあるのも、むべなるかな。しかし、wikiでは情報の信憑性に問題がみられるがため、大学教授などが執筆し査読制度のあるスカラーペディアなど、各専門分野のエキスパートが筆をふるった百科事典類との併用が望まれます。
こうしたオンライン百科事典がすばらしいのは、学術雑誌と同等の権威ある文章が一度かぎりの投稿でなく、機会があれば加筆修正が利くというところ。
自然科学や情報処理学問ほど激しくはないにせよ、人文科学わけても考古学的な成果ともいえる哲学・美術においても、数年のスパンをおいて潮流は様変わりします。なぜなら思想ないしは表現は、つねに同時代の空気を吸って形成されてしまうものだからです。
締切に迫られて、あまり下調べもせずに適当に書いた部分の誤りを指摘されて、恥ずかしい思いをした。あるいは何回も校正をかさねたにも関わらず重大な誤字脱字を見つけてしまった。そんな体験をもつ者にとっては、ありがたいシステムです。しかも、これらがユーザーにとっては無料で閲覧できるのです。

そして、百科事典のみならず美術書全般におきまして、いちばん問題なのが図版の美しさなのです。このブリタニカ百科事典、解説はすぐれていながらも、ごたぶんに洩れず、当時の印刷技術の限界をみせていました。印刷の版がずれていたのか、画像の中の人物の輪郭がずれていたり、シアンやマゼンダの色班がところどころあらわれていたり、異物の筋が混入していたり。

ですので美術の研究をおこなう場合に、百科事典類より図版を拝借することはないでしょう。たいがい、美術館での企画展のカタログなど、わりあいと薄い冊子の掲載画像をスキャンします。私もそうしていました。ところが、これも場合によっては困りもの。なぜなら、見開きで載せられていたり、ページが厚くてスキャンの際できた隙き間によって、光りがはいったり画像が歪んだりするからです。このために、画像編集ソフトで片面ずつの画像を張りあわせたり、感光で色褪せた部分は彩色したりするのですが。それはどうしても、原版の美しさをそこなって、かなり不自然になります。とくに立体作品においては、デジタルな筆入れをおこなうことは、どうかすると遠近感やボリュームを壊してしまうのです。まずきちんとした図版づくりからはじまる美術作品研究において、これは致命的でした。

私が研究対象にしていたのは、海外の現代作家で日本でもいくつか大規模な個展がもよおされたり、各地の美術館に収蔵されてはいました。英国指折りの美術書出版社であるPhaidon社の個人カタログや、Oxford University Presss の刊行するアートブックシリーズにも、収録されています。それらは、ひじょうに美麗な画像の数々であり、日本の美術出版事情との落差を思い知らされたものです。さきの『世界美術史』がいい例ですが、豊富で見目うるわしき図版を取り揃えるとなると、おそろしく価格が高くなり、売れなくなってしまいます。ですので、画質が劣るというのも、あながち印刷技術のせいばかりではないといえるのかもしれません。
また、こうした図録に収録されない作品、とくに過去におこなわれたインスタレーション(仮設展示)作品などは、日本で入手できる出版物においてはそのよすがを知ることはかないません。

こうしたときに便利なのが、海外の美術作品を網羅的に集積したサイト・ミュージアムや電子ギャラリーなのです。サイトの画像はもちろん一枚ものでそもそもデジタル画像ですので、レタッチの必要もありません。加工するとしてもサイズの変更ぐらい。
私がよく利用するのはArtCyclopediaart history resources on the webです。後者はとくに、先史時代からの世界各国の美術作品をあつめており、また解説もありますので人類の壮大な美の歩みを学ぶことができます。また日本美術の特集もあり、英訳する際の参考にできます。英文タイトルから作品検索をするというのは、けっこう手間ではありますが、ウィキペディアなどで調べればだいたいは原題がわかります。

ところで、絵や音楽、文学などには制作者の死後五〇年は保護される著作権がつきまといます。デジタルアーカイブされた画像についても、個人の閲覧を越えて、無断複製したり頒布したりするのはご法度。とはいえカタログなどから図版を作成する場合、それが商業目的の出版物に載らない、個人の卒業論文ていどであるなら、これまでは見のがされていたのでしょう。もちろん版権切れの作品は、美術館など所有者にことわりをいれなくても無断で使用してさしつかえないはずです。

なおよくこうした電子出品目録には電子コードを埋め込んでいて不正使用を禁じてはいます。これはおそらく著作権の切れた作品画像(とくに日本人に人気のある印象派の絵画など)を加工して商品として売り出されるのを防ぐためです。ミュージアムグッズの収益がかかっていますから。
私の場合は、存命中のアーティストでしたので、その作品の企画展示をしていた東京の企業ギャラリーの職員を通じ、ご本人あての英文メールを送りました。学術的な利用目的である旨を伝え、使用許可を願い出ました。ご本人様からご快諾をいただき、ぶじに掲載する運びとなったわけです。日本で海外の美術家の作品研究がむずかしいのは、出版上の不都合にくわえ、電子美術館などの利権がからんだ規制によっているのかもしれません。企業の私営ギャラリーならともかく、公共美術館などではいち個人が頼み込んだくらいでは秘蔵の資料やコレクションは見せていただけることはなかなか、できません。学芸員が研究資料の保存のために公開をしぶっているからです。

百科事典とは逆に、私にはその当時欧米の最先端のアートシーンの動向を知るために、毎月のアート雑誌に目を通すのが日課でした。在籍した研究室には月刊、隔月刊、季刊誌をふくめて日・英・米の美術雑誌がありました。そうした雑誌にはまれに附録で美しいポストカードや,アートブックの広報ポスターがついてくるので、いただけました。毎月、各雑誌の見出しだけ、もしくはぱらぱらめくって画像だけ眺めるだけでも何が書いてあるかわかるというのが、すでにこの道三〇年のベテラン指導教官の教え。しかし、最新刊はともかく、過去何年ぶんにもわたる雑誌に目を通すのだけでも一苦労。ですので、たいがい美術雑誌出版社公式サイトで記事検索をかけて、巻号をひかえて書棚から探し出すというの常でした。
この方法はあまり効率的とはいえませんが、該当刊に同時掲載の記事につかえそうな材が眠っていたりもします。

ところで現在は、こうしたアートの話題が網羅的に集まる情報ポータルがあります。私がよく利用しているArts Journalは、欧米各国のアート系ニュースサイトが日々更新されています。いわばGoogleニュース国際版のアート部門だけ特化したものといえますね。ちなみに日ごろの時事問題の情報源として活用しているのが、Googleニュース日本版です。
雑誌の目次だけ目で追っていたあのわくわく感がよみがえってきます。巨大な知の集積、人類の文化の歴史の痕跡がそこにつどっている。
タイトルだけ拾い読みして最初の数行読んでおもしろそうだなと感じたらブックマークにいれておくのですが、正直それが溜まっていくいっぽうです。ただし、これらは学術誌でなく日本でいえば新聞や週刊誌の文化面。世界最初のニュース雑誌たる『タイムズ』、『ニューズウィーク』や『ニューヨークタイムズ』、英国の伝統ある日刊紙『ガーディアン』やその日曜版である『オブザーバー』などの記事で、おもに英語圏の話題が中心です。専門誌のようにすこしこむずかしい学術用語などはでてこず、ひらたい英語で書かれていますのでとても読みやすいのです。
ところで、このサイトがおもしろいのは、単に紙媒体の記事をウェブ配信してみせたのではなく、ブログ形式で発刊されるウェブマガジンをも集積しており、また動画コンテンツをも積極的に活用していることでしょう。Arts Journalのトップページも日替りの映像を配信していますし、パブリックアートを扱ったAesthetic groundでは、YouTubeに独自の動画サイトをもち、作品プロモーションをおこなっています。

新聞社が放送業界とむすびつき、電波の既得権益をかたくなにまもっている日本では、テレビの放映画像には、なにか特権的な地位がつきまとう。地上波の放送局は政治をもあやつるほどの権力メディアとなっていて、欧米のようにネット通信やケーブル放送と競争の波にもまれてYouTubeと提携したりはしない。したがって、こうした投稿型の動画サイトやコミュニティサイトのような市民メディアと、公共の電波網のつたえる内容とは、微妙な温度差が感じられもします。テレビ番組にそそぐ関心がうすらぎ、ブラウン管にうつる大スターよりも、ネットのコミュニティで声の近いアイドルのほうが親しみやすく思えてしまうのも、この道理。
しばしばパブリックアートを論じる際に俎上にのせられるポイントですが、「公共性」ないしは「民主性」というものが、かぎられた少数派の趣味や意思決定に支配されているという事実。投票率二〇パーセント台でえらばれた政治家が、「みんな」の代表者としてふるまっています。反対の声はネットにおおく潜んでいるのに、放送メディアには届かない、封じているのです。

動画コンテンツをウェブミュージアムにとりいれる傾向はふえつつあり、それは来訪者の美術館への敷居を低くすることでもあります。いかめしい顔をして厳重に警備された展示室のモナリザにであう、あるいは高らかに靴音がひびく石の廊下を歩いて巡り会った大理石の女神に、はっと息を呑む、そんな荘厳な鑑賞体験がかわろうとしています。
そしてまさに、美術を読むという態度もそこで変換を迫られています。大部な美術図鑑を膝に乗せてその重みに情報を量り、広げたてのひらでつかむには厚すぎる背表紙に満足する時代は終わったのです。
「窓辺に座ってブリタニカ百科事典を読み、ゆっくりくつろぐ魂」というT・S・エリオットの言葉をもじるなら、さしずめ現代の美術好事家たるや、その心意気まさに「ウィンドウに向かってオンライン美術百科事典を読み、ゆっくりくつろぐ魂」といったとことでありましょうか。


【ネタのタネ】


【図版】
『ポンパドゥール夫人』(モーリス・カンタン・ド・ラ・トゥール、一七五五年、ルーヴル美術館蔵)




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