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いまではもうあまり出かけませんが、学生時代、かならず旅先で立ち寄った場所があります。
それは、街の本屋さん。旅先ならば、その地元の穴場と呼ばれる喫茶店とか、土産物店とか、に立ち寄るべきなんでしょう。でも、私は行かないんです。地理に不案内な知らない場所だからこそ、いつも勝手知ったる雰囲気のお店に居つきたくなる。
今でも所有している、カール・セーガン著の『コスモス』上下二巻は、学生時代、岡山・広島をめぐって宇部市の彫刻公園を見学したその夜、ふらりと見つけた古書店で出会ったものでした。ドライブしていても、新古書店と呼ばれる古本屋はもちろん、せせこましい感じの街の書店や古書店に、自然と目が行ってしまいますね。きれいな女性には、あまり目を移さないのに(笑)。 掘り出し物の本、絶版になって見つからないあの本に会えるかもしれない、という望みがむらむらと湧いてきてしまうんです。とくに古い漫画とか小説はそうですよね。新版で再発行されない限り、きっと、どこかの愛読者の書棚か、知られない市場の片隅で眠っているんです。それに旅先、慣れない宿や移動中に読む本というのは、格別の味わいがあります。『深夜特急』のような、旅情の載った本ならなおさらですね。現実逃避のさらにまた現実逃避、さらに奥の非日常へ、本は連れ出してくれるのです。
絶版の本、探しても見つからない本ならば、アマゾンなどの中古マーケットでも見つかります。
1円セールとかやっていますよね。でも、以前、この1円セールで商品が送付されず個人情報取得されるだけ、という危険性をネット上で知りました。私はよほどのことがない限り、通販やネットでお買い物しないんです。返品が面倒ですから。
アマゾンの場合、少し前まで本の単価に対するポイント還元率が3パーセントあるものもあってお得でした。ところが、最近購入しようとしたら、1パーセント。これでは、そこらの紀伊国屋書店とか大型チェーンストアと同じです。場合によってはポイントゼロもありますし、しかも、以前のようにコンビニ受取が不自由になっていて、手数料もかさんできます。アマゾンは購入後に、販売ショップさんの評価をお願いされますが、それがその本のレヴュー欄に掲載されてしまうので不自由ですね。私が慣れないだけで、どうにかできるのかもしれませんが、けっきょく、評価しないままにしてしまうんです。これが、アマゾンで本購入が億劫な理由。
アマゾンで買うと何がいいかといえば、高いポイント還元率と、人目に付くのが恥ずかしい漫画を買いやすい、ことそれだけ。そのために、代金先払いしたり、数日も待っても大丈夫だったんです。でも、古い本だと本自体の値段より配送料や手数料が高かったり、それが先払いで一週間近く待ちあぐねる、というのでは、かえって高くつきます。正直、数十円程度のポイントはどうでもいいから、最寄りの書店でパラ読みして、きちんと包装してもらって、すぐお持ち帰りできる方が気持ちはいいですね。アマゾンだと領主書をいちいちプリントアウトしないといけないので、めんどうです。あと、コンビニで宅配物のように受け取るのって味気ないんですよね。コンビニの従業員さんにしたら利益にならない、ただのバックヤードを塞ぐ荷物でしょうし、あまり、いい顔されません。
街の本屋さん、残念ながら、どんどん減っているんですね。
すぐ読みたいな、と思う本があっても、あちこち探してもなかったりするんです。本屋さんに出版社に問い合わせて届けてもらったら、かならず買い取らなきゃいけないので、それもためらいますね。絶対に買う意志がある本ならばいいけれど。それと人気のコミックは、今度から、発売前に予約しておこうと思いました。不義理なヲタクなので、忙しいと発売日すら忘れてしまいますが(殴)。
私の行きつけの本屋は、近所に小さな個人書店一件、スーパーに隣接した大型書店、そして別宅近くの大型書店、さらに職場のある市街地の駅ビル内の大型書店。この4店舗。時間があれば、新古書店も回りたいのですが、最近、暇がありません。このあいだ、在庫の問い合わせをしたら、若い書店員がいる活気のある大型書店の方は愛想がよかったのですが、老舗の個人書店さんのおじさんは、ガチャ切りされました。景気がよくないんでしょうね…。
小さな書店にうっかり一冊だけ取り寄せを頼むと、搬送費を節約するために他の注文と抱き合わせにするから、下手すると数か月待たされると聞いていますので、依頼できないんですね。だから、資本力のない個人書店ほど在庫もおけないし、さばけない。全く常連の予約客しか取り扱えなくなる。誰も客がいないようなお店で、人目に付きたくないような漫画とかを買いたいのだけど、常連になったら秘密を握られているようですごく嫌なんです。
個人書店というのは、バブルの頃は実にいい殿様商売で。
在庫を出版社に送り返せるし、定価販売だし、学校などへの教科書や喫茶店などへの雑誌を卸していれば、いい儲けになったそうで。私の知人でも、県庁勤めを辞めて、わざわざ書店を開いた人がいたくらい。しかし、大型チェーン店が進出して廃業を余儀なくされていきました。私の子どもの頃は、徒歩圏内に本屋が大小含めて五軒はありましたが、いまは…。
商業施設に含まれた大型書店、もしくは全国チェーンで駐車場を備えた独立店舗は、やはり強い。
おしゃれな文房具やカレンダー、手帳などを販売するスペースがあります。CDやDVDは売れないのか、あまり置いていないですね。
スペースがありますから、企画展示ができますので、顧客を呼び込みやすいですよね。保育スペースにはおもちゃがあって、家族向けイベントがあったりする。有名書店では、作家さんのサイン会も開催されますし。京都のジュンク堂だったと記憶しますが、カフェでお茶を飲みながら本が読める工夫がされている場所もあります。本を読むことは楽しくて、快適なんだ、とアピールする工夫があります。
そうはいいましても。
古い街角の一角にあって、古書がごまんと並んでいるような、あの昔ながらの古本屋さんが懐かしいです。
図書館やそこらの新しい本ばかりの書店では見つからない本に、たくさん出あえましたし。お金がなかったときは、自分が買い集めた美術書などを売り払って助けてもらいました。大阪のそこそこ有名な古書店だったのですが、書き込みなどがあった伊藤若冲の画集など、随分、いいお値段で引き取ってくださいました。古書は濡れると価値が下がりますから、雨の日は持ってこない方がいいですよ、とアドバイスしてくださった、あの若店主さん。ほんとうに、あのとき、高めに買い取っていただいて、ありがたかったです。いつか、また、大阪を訪れることがあったら、あの本屋に寄ってみたいですね。ご健在で商売されていることを祈るばかりです。
『ビブリア古書堂の事件手帖』に出てくる登場人物たちのような、本屋さんと読者たちとのドラマは、この世界のどこかに転がっているのです。本が売れないと言われて久しいけれど、本の大切さ、活字を読むことが生きることへ及ぼす影響について訴える場所として、本屋さんはぜったいになくなってほしくないですね。
大好きな本を、自分のお金をかけて、自分のものにしていく。
それは図書館では、ぜったいに味わえない、知的な贅沢です。
読書の秋だからといって、本が好きだと思うなよ(目次)
本が売れないという叫びがある。しかし、本は買いたくないという抵抗勢力もある。
読者と著者とは、いつも平行線です。悲しいですね。