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がんの免疫療法という言葉を知ったのは、数年前のことです。
当時、お小遣い稼ぎ程度に副業で記事を書いていて医療系の記事の案件が多かったのでよく目にした言葉。いのちに関わる医療や健康・美容情報というのは、景品表示法に抵触しそうな、やや大袈裟な表現がつきまといやすくなります。医療の基礎知識がないまま資料を集めて書きながらも、うさんくさいのではと怪しむ自分がいました。がん治療と言えば、手術、抗がん剤投薬、放射線しかないものだと思っていたからです。医療のことを知らない素人考えでした。
10月といえば、企業の内定式が話題になる時期。
そして正倉院などの文化展や、さらにはノーベル賞の発表。毎年、村上春樹氏の受賞かで騒がれる文学賞、今年はスキャンダルで特別措置ノミネートだったのですが辞退されましたね。創作に集中したいのが理由だそうです。
ここ近年、日本人受賞者のラッシュが多いように見受けられるノーベル賞の科学分野。
今年は2年ぶりに、生理学・医学賞で本庶佑(ほんじょ・たすく)京都大学特別教授が受賞。受賞理由は「免疫抑制の阻害によるがん療法の発見」。共同受賞者は、米アリソン大学のジェームズ・ハリソン教授。
1992年、本庶氏は免疫細胞の一種「T細胞」表面にある分子「PD-1」が、がん細胞と結合すると、がん細胞の働きが抑制されるのを発見。実験で検証のすえ、この仕組みを利用したがん治療薬「オプジーボ」を、小野薬品工業などが開発。現在、この分子「PD-1」を利用した薬は続々と登場し、抗がん剤が効きにくい難治性のがんに対する特効薬に。がん免疫療法は、すでに第四のがん医療として認知されています。
この本庶氏の研究の原点は、子どもの頃からの「人が死なない薬を発明する」という思い。
医師の父に反対されても、医学の基礎研究の道を選び米国留学。帰国後、日本の大学の研究費の少なさに苦慮しつつも、地道に研究成果を積み上げる。このノーベル賞受賞以外でも、候補になってもおかしくないほどの成果もあったようで。学生時代に、同級生が胃がんで亡くなったことも影響しているようで。
研究者の醍醐味について「多くの人が石ころだと見向きもしなかったものを、10年、20年かけて磨き上げ、ダイヤモンドであることを実証すること」と語る氏。人間は弱いものです。自分一人が信じているものをけなされても、信じぬき、半生かけて取り組める人はそうはいません。誰か権威ある人にはじめて認めてもらって、世間様に顔向けできるようになる。多数決で安心を得る。でも、そんな後追いや保身では世にくさびを打ち込むような斬新なものは登場しません。本庶氏の顔には、信念を曲げない強さを感じます。彼はおそらく何度もなんども、自身の研究を撥ねつけられてきたはずです。
研究者に必要な要素として「challenge(挑戦)」「confidence(自信)」「courage(勇気)」「concentration(集中力)」「curiosity(好奇心)」「continuation(継続性)」の6つのCを説いているといいます。しかし、この先生の研究室、日本人学生もいますが、インド人ふくめアジア系学生が多い印象。将来が心配ですね。
日本人学生の院進学率が下がったとか、研究費が潤沢でないとか、よく話題に上ります。
ノーベル賞受賞のたびにその声は上がる。しかし、とくに文系を中心とした研究者には、自分の研究の社会貢献度を鑑みていない人もいますしね。支持の多い学説や出版物、高名な研究論文に疑いを差しはさまない、師の論説に反論できない、そういう学術界の空気もあるなかで、自分の意思を通して実現できる人は少ないのかもしれません。成果が実を結ばなければ、変人奇人扱いもいいところ。医学研究分野でもデータ捏造が明るみになっていますし、医療機器や医薬品の認可の遅れ、訴訟沙汰など、日本の医学研究分野での課題はたくさんありますね。大手製薬業界は、薬の特許切れで利益が激減、自前の開発費も削減されているため、すでに技術力のある中小メーカーを買収していく傾向が強い。このような流れであると、中小企業ならではの個性的なアイデアが潰されがちになるのではないか、という懸念があります。
「知りたいという好奇心」は大事だけれども、自身の知的満足を優先させるあまりに他人の気持ちを顧みないこともあります。「教科書に書かれたことを疑ってみる」といいつつも、ものを考え答えを導くためには、まず基礎学力が必要です。
それにしても、ここ数年、芸能人などに多かったがんでの病死。
民間医療に走ってしまったためにかえって死期を早めたとも指摘されています。まだまだ高額ながん治療薬。私の実父も早くにがんで亡くなりましたが、手術、抗がん剤、放射線すべて行い、温熱療法も。一時は奇蹟的に回復しましたが50代で落命します。原因は、その前年にあった私のきょうだいの死と、自営業の苦しさだったのでしょう。禁止されていたお酒にも手を出していました。お酒を浴びるほど飲めて強いのにもかかわらず、私が嫌いなのはそのためです。
哲学者セーレン・キェルケゴールは絶望を「死に至る病」だと語っています。
つまるところ、どのような良薬がありましても、患者が生きる希望を抱き続けなければ効くものも効かず。そして、ミケランジェロがあらかじめ大理石の中に埋まっていた美を掘り起こしたように、真理というものも真摯にそれを望みつづけた者を選んで、その頭にひらめいてくるのではないだろうか、と私には思われるのです。足を棒にして製薬メーカーに掛け合って実現にこじつけた執念、さらには、受賞の誉れよりも患者からの感謝の言葉を何よりの励みとした、そのひたむきな研究者の姿勢に賞賛を贈りたくなりますね。
そして、ひとに希望の光を与えるものは、身近にいるひとの笑いとか、動物からの癒しとか、美しい物語とか、そういったものでもあるわけです。