陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

耳にちからを

2008-08-17 | 芸術・文化・科学・歴史


自分はけっこうメモ魔です。マメなのではなく、一度の説明だけでは覚えられないから、書きつけるのです。ところがこれが曲者でして、メモをとっただけで満足してしまい、じっさい頭にはいっていないことが多々あります。
学生時代、講義ノートをつくるのが好きだった人間は、その傾向があります。忘れないようにするいっぽうで、それは聞いた言葉よりも書かれた言葉のほうを信用することになります。文書に書かれてあると納得しますが、他人の口にしたことは信用おけないのです。しかし、およそ、ひとの書きつけたことですら真実があるとはさだめがたいものではありますが。

そういうわけで、ずっとヒアリング能力が弱かった自分。電話対応が苦手でした。中耳炎をわずらったうえ、ストレスで音が聞こえなくなったことがあります。名前を名乗られても聞き取れず、聞き返すと嫌な思いをさせてしまいます。
最近立ち読みした本に書かれてあったことですが。電話対応が苦手なひとは、ふだんの生活のなかで、五分ほど意識を集中して生活の音を聴き取る練習をすればいいとありました。テレビも観なかったのでまずいと思い、ラジオを流してなるべく人間の声に耳なじむようにしていきました。
また、電話をうけとって名乗るときも、なるべくこちらが落ち着いてゆっくりしゃべると、向こう側もゆっくりしゃべってくださいます。

ふしぎなことにこの訓練をくりかえすと、だんだんはっきり聴き取れるようになりました。おかげですこし自信がつきました。
今年の苦手を克服したもの、その2です。

なぜ、以前は聴き取れなかったのでしょうか。
どうして耳を鈍らせていたのか、その答えはわかっていたのです。
私はもう、この世界に存在しない声だけをもとめて耳を研ぎすますのだけは、やめにしておきます。
甲斐性のないエクリを脳内にきざむために、耳をふさいでしまうのは。
いくら願ったとて、あの声はもはや聞こえないのですから。


【掲載画像】
三木富雄「耳」

左の耳だけを寡黙につくりつづけた彫刻家、三木富雄。
はじめて観たのは、地元の県立美術館の収蔵作品展だったと記憶しています。三木はなぜ耳だけをつくりつづけたのでしょう。彫刻家は「耳のほうが私を選んだ」というふしぎな言葉を残しています。


(〇八年六月某日 覚え書き)




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