毎週土曜の放送を楽しみにしているNHKアニメ「チ。―地球の運動について―」。
中世の欧州をモデルに、禁忌の学問に命を懸ける者たちの信念をつむぐ物語。その原作漫画の出だしは、現代人の胸に刺さるフレーズです。
硬貨を捧げれば、 パンを得られる
税を捧げれば、 権利を得られる
労働を捧げれば、 報酬を得られる
なら一体、何を捧げれば、 この世の全てを知れる――?
資本主義社会だから、稼ぎが多い人が豊かとされて。多額の納税をした人は偉いとされて、余裕があれば寄付もすれば褒められる。
そんな考えにとりつかれて、毎年末の帳簿締めのときの期末残高を見比べっこしては喝采をあげたり。部屋がくもりがちになるかってぐらいにため息をついたり。そんなことばかり繰り返しています。
数字が自分の成績であるというのは、学生時代からそうだったこと。
増やせばいい数字もあれば、減らしたい数字もある。医療費でもジェネリック推奨のこの現代、お気に入りのパンも果物も、より安いものを求めて、なじみの店からすこし遠のき、買いたいものは代用品を考え、出かけたかった場所もあきらめて。なんとかしのいできました。後ろ向きになると、気分がすさみますよね、相当に。
学歴が高ければ、収入も高い仕事につかなければいけない。
たくさん稼いで、いっぱい納税して。大きな家に住んだり、最新モデルのスマホや車を持ったり。
生きるって、生き延びていくって大変ですね。
自分が支払ったもろもろのお金、世の中にどう回っていくのでしょうか。一日、食べられるだけの食材があるだけでありがたいのに、知識欲を高めたいとか、娯楽にふけってみたいとか、美しい絵を拝みたいとか、自分の欲をかなえるために元手がいることは、この先、世の中がどう変わろうが、変わらぬ必然なのです。消費すること、それ自体がストレス。お腹なんか減らなきゃいいのにな、と思うこともしばしば。
1月半ばすぐに確定申告書類が届いて。
現在、取りかかり中で。会社を辞めたから、ああもうめんどくさい他人様の年末調整やらの対応はしなくてすむのだ、と気楽な反面。減額した身入りと今後の展望に気をふさぐこと、しばしばだったりもします。
そこそこの規模の会社の決算作業なんぞに比べたら、個人事業主の確定申告作業なんて超らくちん。今までヒイヒイもだえていたのは何だったのかしらと思うのですが。昨年以来の心身の不全もあってか、作業スピードがやや遅め。
百均の帳簿ルーズリーフも在庫がなくなって。
会計ソフトで電子帳簿にはしているけれども、念のため紙帳簿も備えておきたいので、どうしたものか。めんどくさいけども、Excelで自作してみるか? プリンターでスキャンして印刷を試してみたけども、どうもうまくいかなかったので。
数年ほど前からやっと複式簿記で、青色申告55万円控除にできたせいか、節税ができたけれど。
そもそもコロナ禍以前の収入ほどには戻せていないので、納税額もすこし減ったわけで。
「税を捧げれば、権利を得られる」。
その権利ってなんなのでしょうか? 困ったときに福祉に頼れる権利? 自分の稼ぎを誇り、有能な働き者であり、りっぱな市民であり、あっぱれな消費者であると実証できる権利? 納税していない、あるいは低い人をけなす権利? 納税額が少ない人を働きが悪くて、無能で、人でなしだと見下す権利?
もし、自分が自己破産したり、障害者になって動けなくなったりしたら、かつていくばくかの納税額があったとしても、そのときから無価値な人間という烙印をおされてしまうのでないか? そんな不安が頭をかすめてしまいます。
巨額の寄付金が多かったある芸能人が褒章をうけたのもつかのま、スキャンダルで失職する羽目になり、マスコミの経営陣の傲慢さも批判されはじめましたけども。一流人の稼ぎかたの裏にある、感情を踏みにじられたひとの涙を考えると、富を誇ることに対する虚しさを覚えずにはいられません。まさに奢れる者は久しからずや。
このブログを開設したころの若かりし私は。
まだ税のことも社会保険のことも、世の中のしくみもさほど熟知していなくて。退職した後に確定申告をすれば、源泉徴収された所得税が還付されることすら知らなくて。もちろん、現在ほど納税もしていなかったのですが、肌をすべるもののカネの重みに溺れるまえに、純粋に学問のみにうちこんでいて、オタク的に好きなものだけにのめりこんでいて。毎年、確定申告をしないといけない義務もなくて。もちろん、自分の有り金のすべてを計算したことすらなくて。でも、そのころの自分は減っていく数字に対する恐れはなかったんじゃないかな、と思うのです。数字の多さをひたすら崇めるような雰囲気に対する、青くさい反感だけは持っていた。
「チ。―地球の運動について―」に出てくる移動民族のドゥラカという娘は、第3章の主人公。
生の不安をぬぐうために仕事の効率化や金儲けに必死になり過ぎて、村からはみ出し者になってしまいます。頼みの血縁者にすら裏切られてしまいます。頭はよさそうですが、たまたま拾った本でひと財産築こうなんてたくらむぐらいですから、どうも清廉潔白な人物ともいえません。なのに、どこか魅力があります。
あのもがきつづける姿が、自分の生き写しかのように感じられる現代人は多いのかもしれません。
報酬の高い労働は、責任も伴い、かかわる人も多く煩わしく。お金だけで人の心は動かせず、札束などで精神を蹂躙されてしまうことに、激しい反発があります。満足のいくものだけに、納得のいく人物やサービスだけにお金をはたけば、幸せにひたれるのでしょうか? それが自由に選べないからこそ、われわれは苦しんでしまうのではないでしょうか。
令和六年度分確定申告作業をしている最中に、ふと思いついた考えの切れ切れを、記録した雑記なのでした。
パソコンに向かうと、とりとめもなく、あわあわと妄念が浮かんでくるので、野菜づくりみたいなからだを動かす作業がベストなのですが、じつは黙々とした畑仕事中でも、暗黒シンキングタイムがとまらなくて、なんかもう、どうしようもなくなっている私です。
(2025.01.25)