小学校の時から不思議だったのは教室のレイアウトだ。私の様なべビーブーマー、つまり団塊の世代は1クラス70名などと言う現在では信じられない環境で学校生活を送った。縦に10人7列。ぎゅうぎゅう詰めだった。どうしてこのような環境で息苦しさ、見通しの悪さの中で耐えられようか。それが、偽りのない気持ちだった。大学に入学してゼミと言うものに参加して初めてやらされる、押し付けの勉強から解放された気がした。気持ちが快適だった。コの字型に囲んだデスク配置で学問というものが自由を志向するものだと実感できた。今考えると学問・勉強の内容ではなく学ぶ空間のレイアウトのせいだと気がついた。特別支援教育に衣替えする障害児教育で一番立ち遅れていて、意識されないのが空間の意匠である。小学校で躓いた子供の中で学ぶ空間の息苦しさが意外と関係していると私は考えている。
自閉症者でありながらも優れた農牧場デザイナーで世界的に有名なテンプル・グラデンディン氏は日本の養護学校の教室内のレイアウトを視察して『最悪』の評価を下していた。Teacch等の教室配置ではその通りに倣うけれど、昔から染み付いて来た学校教室のイメージを払拭するのは容易ではないようだ。自分たち大人教師がやり易い空間が障害児に果たしてどうなのかを考え・問い続ける事からバリァフリーへの志向が開始され、それが大きな流れを形成し社会の障害者(The Challenged)に対する差別撤廃・徹底理解・支援の潮流に繋がっていくのだ。些細な事が実はより重要な何かの入り口だったと言う事が実に多いのである。
自閉症者でありながらも優れた農牧場デザイナーで世界的に有名なテンプル・グラデンディン氏は日本の養護学校の教室内のレイアウトを視察して『最悪』の評価を下していた。Teacch等の教室配置ではその通りに倣うけれど、昔から染み付いて来た学校教室のイメージを払拭するのは容易ではないようだ。自分たち大人教師がやり易い空間が障害児に果たしてどうなのかを考え・問い続ける事からバリァフリーへの志向が開始され、それが大きな流れを形成し社会の障害者(The Challenged)に対する差別撤廃・徹底理解・支援の潮流に繋がっていくのだ。些細な事が実はより重要な何かの入り口だったと言う事が実に多いのである。
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