→それは母息子関係でも同様ではないかという指摘はありうるでしょう。しかし、必ずしもそうではありません。息子はいつでも、母親を支配する立場に立つことができるからです。つまり息子は「生ませる性」として、母親に自分の子供を生ませるという不穏な可能性をつねに持っています。→
→娘にはこのような、関係性を反転させる可能性はありません。(引用以上)※この本を読んでいて、「すげえ!すげえ!環先生すげえ!」という自動思考が一番声高にやってきた瞬間が、ここの部分でした。→
→もういっちょ「環先生すげえ!」が出てきた箇所の引用:娘へと向けられたはずの言葉が、実は願望も含めた自らを語る言葉でもあるということ。おそらく母親の身体性は、このような言葉の回路を通じて、娘へと伝達されていくのでしょう。(略)→
→すべての娘たちの身体には、母親の言葉がインストールされ、埋め込まれていることを意味します。このようにイメージするだけでも、いかに「母殺し」が不可能であるかがわかります。(引用以上)※母娘関係を考察した本としては、最近読んだ中で出色でした。環先生すげえ!
先生の言うとおりに逃げたら津波でさらわれ、給食の数値は問題ない!お弁当にするといえば給食と同じメニュー!?扱いにくい子どもは発達障害適応障害?記憶強制授業。それでも、親は「学校に行かない」事を恐れ、忌み嫌う。言われるままについて行って、「被災」した。学べない日本人?
公立の小中学校を訪問させていただくことが時々あり、ケースの資料も準備してくれている。それはありがたいことなのだが、内容が「○○ということをした」「××できなかった」という行動記録ばかりで、教員からみたこどもたちについての考察がない。教員は皆思考停止に陥るものですか?
■「あなたが生まれたとき周りの人は笑って、あなたが泣いたでしょう。だから、あなたが死ぬときはあなたが笑って、周りの人が泣くような人生を送りなさい。」【作者不詳】
『われに知識を与えよ。さらば何に対しても思いやりの心をわたしは持てるかもしれぬ。』【平原インディアンの言葉】本当の知識とは何に対しても配慮出来る心が伴うもの。核兵器・原子力発電などの現代の知識とは明らかに違う知への立ち向かい方に心が和む。知的障害者の知識への立ち位置と同じ精神性
確かに!「共感」の調理に興味あります。"@peeoka: 「共感」とか「寄り添う」とか「役に立つ」とかは臨床心理のギョーカイでは臭い台詞なんだよね。だからといってフタするんじゃなくて、じっくり調理して煮込めば臭みもとれるのではと考える方。"
@emiemi14 児童自立支援施設で素晴らしい実践をされてた方の講演会を聞く機会があったのですが、臭い言葉なのに臭みを一切感じさせず。「一流のシェフ」でした。実践というスープに浸かった言葉だからだけでなく、きっと火加減の調整(言葉に向き合う内省や葛藤)も大事なんでしょうね。
プエブロ・インディアン古老の詩【生きている物全てが私と呼吸を合わせている 全ての声が私の中で合唱している あらゆる悪い考えが私から立ち去って行った 私の畑はもう耕されることはない 私の声は笑い声に満ちている 子どもたちも家に帰ってきた 今日は死ぬのにもってこいの日だ】
"Today is a very good day to die"ープ エブロ・インディアンの古老の語る死生観 blogs.yahoo.co.jp/yosh0316/52235… blogs.yahoo.co.jp/yosh0316/52235…
↓先天性の障害の場合、生まれた時からその世界の中で生きている。できる様になった方がいい、というのは外野の人達の世界観であって、当事者からしてみれば余計なお世話的なところもある。リハってちょっと間違うとありがた迷惑の押し売りににもなるんだよなぁ。セラピストとして悩むところですね。
『不自由なのは健常者の方で本当の心の音色が聞こえない。問題を抱えているのは寧ろ健常者。知的障害者に対して健常者をモデルに出来るだけ近づける教育よりも、 健常者が彼らから学び彼らの心の音色を聞き分ける時に本当の支援教育になる。』 po.st/6Jokxd
以前YoshさんのTWで 朝の挨拶に「おはよう…」の 挨拶に「こんばんは!」を 試してみた♪ 看護師さん他は この人はおかしい人のような対応と顔をする 患者さんは笑顔で対応してくれ 楽しみにしてくれるのを見ると可能性を感じる♪
先程以前のブログ記事の紹介TWしました。心の音色と言う記事です。言葉の無い知的障害者の心の音色を感じることをテーマの記事です。読んで下さい(^o^)RT @golf69golf: @mirai_list そうですね♪また 明るく会話を出来る術もあると良いかなと 思っていますRT
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