健康という病3
医者や治療家または巷にあふれる健康情報を見た時に、一般の人も含めて、こうすれば良くなるとか、こういう生活だから自業自得で病気になったとか、これが正しいとか、それは悪いことだとか、病気は悪だと言う捉え方が多く、健康にこだわりすぎて健康産業に取り込まれ膨大な時間と多くのお金を失って、全く良くならない人を治療家としてたくさん診てきました。
病気は嫌だけれど、病気になったそれは悪ではありません。それを自分に与えられた罰だとか、ずっと後悔して悔やむというものではありません。
そうなったのが事実であって、どう生きたいかということを考えることになります。
それは悪いことではありません。生き方を知ることです。
ちなみにこうしたら良くなったとか言う情報が多数ありますが、それはその人が良くなったということであり、同じことをしても
あなたはその人とは違うので、良くなることはありません。
参考程度に考えれば良く、どうすれば良くなるかのストーリーは個人個人で違います。個人個人で生きてきた歴史(先祖の歴史:遺伝)や体質、性格、置かれている環境が違うからです。
自分でそのストーリーをオーダーメイドで身体と心の声を聴きながら組み立てていけば良いのです。
そして治療家や健康食品、健康器具などはその中のほんの小さな一部に過ぎません。
あくまでもあなたが全ての中心です。何しろその身体と心はあなたあなたなのですから。どこかの誰かではなく、どこかの誰かに治せるはずもありません。
さらに治ることにこだわらないことも大切だと思います。
病気は悪ではないと、病気だから不幸ではない、病気になったのは罪や罰ではない。医者も治療家も答えなど持ちもしないのに、こうすれば良くなる、これで治る、と言いすぎています。
そんなことに時間を使うのではなく、自分が病気になったことから気づきが起こり、人生を考えることとなり、病気は不幸だで終わらず、より良い生き方を模索することにより、より深い領域へと到達するでしょう。
健康になるために生きるのは、死んでいるのと同じ、今の日本におけるマスク世界と同じです。そこには安心安全で何もしない人々がいるだけです。
冒険も体験もできず、何もせずバタリゲージに閉じこもり、一方的に搾取される死ぬことになるでしょう。日本はそうなっていると思います。
実際に病気になった人が健康になったとしても、ずっと健康でいることは出来ません。
人間はいつも健康と病気の間を揺れ動いています。
人間は基本的に病気であり、健康は一瞬に過ぎません。おそらく健康の頂点は風邪が治った瞬間だと思います。その後は、次の風邪や病気が待っています。
風邪を引いて鼻水がでて咳をして、節々が痛くなり、高熱が出て治癒する。
その時の爽快感がいちばん健康を感じる時でしょう(もっとも薬で抑えていると感じることはできませんが)
そう考えると健康のありがたさが身に染みてわかります。
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