大阪から東京に来て2年半近くになる。大阪に住んでたころはその存在の大きさに気づくことがなかった食べ物が、そう551の豚まんである。新宿にラーメン神座はあるし、お好み焼き屋のきじが丸の内にできたり、会社の近くには洋食の自由軒まであった。しかしである、551蓬莱だけはどこにも出店していない。まさに「ないとき」である。
中学生くらいのときにおかんとミナミや天王寺なんかに出かけたときなんかは、必ず「551でもこうてかえろか?」な~んて言うてきたものだ。ただでさえ、親と歩くのも嫌だ頃だったのに、豚まんを持っているおかんと歩くこと思春期の俺には耐え難かった。そして、いつでも食べられる551の豚まんは身近な存在過ぎてその存在自体も忘れるほどとなっていた。
東京にきて数ヶ月が経った頃、会社帰りに家に土産でもと思い、東京駅で豚まんを買った。中華街にも店があるようなことが書かれていて、なんとなくチョイスした。家に帰って妻と食べたが、その不味さに驚いた!大きさは551よりも大きく、生地の色が異常に白くてフニャフニャ、なかなか具まで到達できす、蒸しパンを食べてるみたいだった。そのとき、思い出したことは、そう551の豚まんのことだった。551の豚まんがめちゃめちゃうまい食べ物であること、全国の豚まんを食べたわけではないが、日本一ではなかろうかと思った。そして、妻とすぐに買って食べることができない東京にいることを二人で悲しんだ。まさに「ないとき」である。
それから大阪出張のときには、必ず551の豚まんを買って帰るようになった。妻から買ってきてと催促されることもしばしばある。紙袋もほかの人からよく見えるように堂々と持って帰るようになった。東京に来た大阪人でこんな感覚になった人も多いのでは・・・?そして大阪にいる人達に告ぐ、おかんが買ってくる551は大切に食べて欲しい、東京で「ないとき」状態の我々がいることを思い出しながら・・・。
中学生くらいのときにおかんとミナミや天王寺なんかに出かけたときなんかは、必ず「551でもこうてかえろか?」な~んて言うてきたものだ。ただでさえ、親と歩くのも嫌だ頃だったのに、豚まんを持っているおかんと歩くこと思春期の俺には耐え難かった。そして、いつでも食べられる551の豚まんは身近な存在過ぎてその存在自体も忘れるほどとなっていた。
東京にきて数ヶ月が経った頃、会社帰りに家に土産でもと思い、東京駅で豚まんを買った。中華街にも店があるようなことが書かれていて、なんとなくチョイスした。家に帰って妻と食べたが、その不味さに驚いた!大きさは551よりも大きく、生地の色が異常に白くてフニャフニャ、なかなか具まで到達できす、蒸しパンを食べてるみたいだった。そのとき、思い出したことは、そう551の豚まんのことだった。551の豚まんがめちゃめちゃうまい食べ物であること、全国の豚まんを食べたわけではないが、日本一ではなかろうかと思った。そして、妻とすぐに買って食べることができない東京にいることを二人で悲しんだ。まさに「ないとき」である。
それから大阪出張のときには、必ず551の豚まんを買って帰るようになった。妻から買ってきてと催促されることもしばしばある。紙袋もほかの人からよく見えるように堂々と持って帰るようになった。東京に来た大阪人でこんな感覚になった人も多いのでは・・・?そして大阪にいる人達に告ぐ、おかんが買ってくる551は大切に食べて欲しい、東京で「ないとき」状態の我々がいることを思い出しながら・・・。
もうしばらくお待ちください。
後日ご案内いたします。
早速読ませてもらったけど、むっちゃはまってますやん(笑)
その気持ちわかります!
うちも、実家にいる時、よく母がお土産にといって、551の豚まんを買って来ました。
それが、いやでいやで
他にあるやろ、というくらい、551豚まんか御座候の回転焼きばっかり
年頃の時は、豚まんというのが恥ずかしかったし
結婚して、京都に嫁いだら、大阪にあんなにあったのに、551が全くないのに驚きました
京都駅で、すごく人だかりができている、と思って近寄ったら、551。
京都では、そこしかないらしい。
だから、たまに私の家に母が遊びに来るときは、551の豚まんを買って来てもらってます
まさに、「あるとき」「ないとき」です