今の時代、この地で、なぜこの作品を発表するのか。これは常に演出家にとっては、問われることです。
なぜなら私たちの作品は演劇という享受に時空間を限定するメディアの特性上、同時代の観客にしか届けられないものだからです。
コロナが蔓延し、同時に孤独も蔓延する中で、他者と気軽には関われないこの状況下で、<孤独>という言葉を、その背後にあるそれぞれの思いを理解するために、この演劇公演は役に立つのではないか、とそう考えるのです。
この作品は、一人芝居の二本立てなのですが、舞台上に俳優が一人で立っている姿を劇場で観るだけでも、きっと何かを感じて帰ることができるのではないかと思うのです。たった一人で観客や物語と対峙する。想像するだけでも恐ろしいものですが、その周囲には演出や照明や音響といったスタッフ、そして何よりも観客が存在します。同一空間上で、しかしそれぞれ孤独に作品を感じ取る。それぞれの感じ方、見方で。
それが、何よりも自分とはそもそも異なる他者の理解へと進んでいきやすくなるのだ、と思います。正直に言えば、演劇は芸術というよりは多分大衆娯楽でありエンタテイメントの一つのメディアだろうと思います。だから作品の良し悪しはあるとして、基本的に売れる売れないは好みの問題であろうし、間口が広い作品もあれば、少数の好みに合うというものもあると思う。
でもだからこそ、たくさんたくさんあって、その中に何か一本、人生を変える、というか生き方を揺さぶられたり、心の奥底へと響く何かが来たりっていう体験があると素晴らしいのだろうな、と。
でも、実は僕が作る動機も突き詰めれば「他者を理解したい」というこれにつきますね。自分の理解し難いことを少しでも今後理解する助けになれば、と思って作っています。「あずき粒」にしても「お守り」というタイトルからずらしたのは、主人公が思う無数のあずき粒の一人に過ぎない、という思いは、個性というものがそもそも一人一人異なる生き方、選択をする過程でことさら強調しなくとも自然につくられていくものだ、という僕の考えとは真っ向から違います。それでも多くの人はそう感じるようで、それがなぜなのか、そこを見いだしていく過程が創作なのだなあ、と思うわけです。
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