オメガとしてのZ。
つまり最後の文字ということです。
本当はZONEということで、演劇論を語ろうかと思ったんですけれども、とてもなんというか感慨深い出来事があって。
実は先週で高校の授業が終わりました。
来年度はありません。
と、いうことで成績を届けがてら、源泉徴収票の住所訂正をしてもらいに行きがてら、机の整理をしてきました。
4年間なんですけども、返し逃したファイルの生徒達はまるで去年の生徒のように思うけど、おととしなんですね。
だからもういなかったりする。
2006年からです。結局3年生を2回、二年生を3回持ちました。
基本的に演劇好きじゃなくて、第三希望さえ入れずにこのクラスへ来る生徒達と演劇部の生徒達のやる気の調整をするのが毎年苦労しました。
今年はあまつさえ29名。ほんとに多かった。
何人か見学にいらっしゃられた方には、授業態度が悪いことに驚かれ、それでも僕は演劇人である大人として彼らと接しました。
「松浦さん」と呼んでもらい、「僕は学校の先生のように親切に叱ったり怒ったりはしません。でも授業に参加しなければ何も言わずに点を引きますし、授業の邪魔をすればきちんと減点します。」
と最初に言った上で、ある種突き放し、距離を置き、それでも授業を楽しんでもらいたいと工夫を重ねてきました。
演劇の楽しさを知り、親しく接してきてくれる子もいれば、反発と言うかまあ消極的にしか参加しない子もいて。
それでも、三年目からかな。
演出家としてきちんと稽古場を創るという時間を設けだして、そのぴりりとして時間は意外とみんな楽しんでいて。
こんなことなら、来年は最初からぴりりでいこうかなと思ったり。
でもその来年はなく、まあ妹が高校を卒業すると共に、僕の特別非常勤講師としての高校生活も卒業を迎えます。
ー演劇を授業で行うと言うこと。
創作を教育と言う枠組みの中で扱うことの難しさ。
それでもなお、何かを伝えよう、学んでもらおうと思っていたとしたらなんだろうって思うと、
それは「客観化」です。
先週、自由創作の発表をやってもらいました。
もちろんいつもどおり稽古不足でしたが、それぞれ発想はおもしろく構成にも優れていました。
テレビドラマやバラエティー番組のコントの影響は色濃く見えましたが、演劇的な面白さはじゅうぶんにありました。
でも苦言を一つ呈すなら、やはり受け手(観客)が見えていない。
いかにして相手に渡すと面白いのか。
もちろん分かりやすさを追い求めるのではなく、効果的に相手に伝える方法をさらに磨いて欲しかった。
恐らく「自分が思うようには相手には伝わらない」ということはうまく学んでもらえたと思う。
ちょっとした工夫で大きく変わるということも。
でもそれを自分で編み出すまでには至れなかったところに悔いが残る。
何よりも僕自身が思う、「稽古って楽しい」ということに至れなかったのが残念である。
余談だが、大学に所要で行った時、無料でエントリーシートの書き方指導の講座で読売新聞の採用担当の方の講演を聴くことが出来た。
そこでも言われていたのはこの「客観化」である。
いかに相手にわかってもらうか。
いかに相手に自分の思いを伝えるか。
これである。
「演劇を創る」ということ以外に伝えることがあるとすればこれだった。
又機会があれば、是非この作業に携わりたいと思う。
ぜひ「演劇を創る楽しさ」をもっとたくさんの人に与えたいと思う。
どうしても現場がないんで、話題が演劇からそれてしまいます。
前回も全然「演出家の眼」じゃなく、ただの人の目でした。
でも演出家の人生は多かれ少なかれ作品に反映されますし、作品の“芽”ということでご了承ください。
そして、3月にはワークショップがありますし、その発表会ではちょっとした小品を一緒にお見せしようと思っています。
とっても単純な、原点に立ち返ったものをやると思います。
近日発表します。ご期待ください。
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