ご無沙汰していました。
長~い眠りの中で、いろんな夢を見ていたような、
良くも、悪くも、思考も行動も停滞している間に 1歳年が増え 74歳になりました。
今年 兄は77歳 姉夫婦は80歳になります。
細やかな手作りの梅干しと新生姜のガリを作り暑中見舞いとして送りました。
兄嫁の母が10年近く認知症の末、老衰で眠り、
兄嫁の末妹の夫が一回り年上だったのですが、やはり認知症で施設に入り 義母を追うように
翌月眠ったようで・・・(内輪でこじんまりと葬儀を済ませたと後で聞いたので)
喪中の最中の祝い事は、さり気なく。
私の父は44年前に逝き、母は14年前に逝ったので、
41年前に子供を連れて離婚した私は 家庭を築き真っ最中の娘と息子と姉と兄が
いわゆる親族だが、 年々 親族の濃さが薄まって行くと感じるのは
私だけだろうか?
用があれば、メールが来る。
私にとって、親族でなければならない用は入院時の保証人の了解を貰う時。
メールやラインは 費用が安く済むが、言葉に心が映らないから、
時に冷たく、時にあざける様にも受け取れるのが怖い。
親子も兄弟姉妹も 次第に他人と区別がつかない距離感になって行くのが
今、心に染みてくる。
血の気の多かった年代に、難病を発症しドクターストップを受けつつも
生きる事に執着し、父亡きあとは長男に全てを託した弱い母に苛立ち、
病気とは縁無く生きて来た姉・兄には私の心の痛む叫びが聞こえないのか?
共に通院に寄りそう事もなかった都会の孤独が耐えられなくて
いっそ、身も心も独りである事の緩い生き方を選んでと・・・ この里山に一人やって来た。
これでよかったのです。
何もかも干渉されず、自己責任で生きる事が私らしいと
あらためて確信できたのだから。
子には子の家族ができ、その生き方があるから、それで良い。
暑かった夏も去り、里山の朝は涼しい。
もう話題は紅葉の映える滝の事になった。
来月には 古き良き友が訪ねてくれるので、バスで秋色の滝のオーラを受けて来る。
小遣いは互いに無いから、我が家でのんびり食事をして寝る事にした。
口には出さずとも、この四季を愛でる回数がそう多く無い事を私達は知っている。
縁・・・大切なものだが、好まざるとも結びつけられた血縁は、時に疎ましい。
我が子達もそうであろうと思うから、今を自由に生きて欲しい。
半年近く薄暗く、長いトンネルの中で 生きている実感のなかった私が
今、やっと 意味不明ながら キーボードを押し始めた彼岸前です。
楽しみに待ってます。
病と連れずれの日々、やさしい言葉が心に染みます