看花須具看花眼
先日利用者さんの担当医を待つ待合室で
本をめくった。生きる禅語
学の無い私
何の意味かも分からないが
ふと目に留まり
何故かじっくり読みたいと言う気になった
取りあえず借りて来たけど
借りたものは早く返さなければならないから
じっくり見る時間は無いので
この本を買う事にして
2か所の本屋を探したが見つからなかった
3年前の物だそうで
新しい禅語の本には書いてなかった
この言葉に出会う
めぐり合わせだったのだと思う
看花須具看花眼
はなをみるにすべからくかんかのげんをぐすべし
と読むそうだ
私は、この仕事をする前は(サラリーマンNSの時)
色々な趣味の中に書道もしていたので
こんな漢字ばかりの言葉を少しばかり教えられていたが
この言葉は初めてで
どんな意味があるのだろうと解釈を見た
花を観るには花を観る眼を持て
思いやりは観察から始まる
思いやりは観察から始まる(看護だよね)
よく見る事は良く知る事
良く知る事を知識から始めると見える者も見えなくなってしまう
先入観と言う目で見るようになってしまうからだ
しかも,その知識は誰かが観察し研究したものでだから自分のものでは無い
自分のものになっていない知識は知ったかぶりになる。
知ったかぶりは感性を目隠しするからいよいよ真実を隠す
~~~~~~
眼と心で良く見て耳と心で良く聞いていると花の言っている声が聞こえる
~~~~~~
何時もしている私の看護が
この言葉で初めて認められたと感じた
一緒にいた看護師がそれをみて
「これ何時も柴田さんの言っている事ですよね」と言ってくれた
ただ当たり前の事でしかないけど・・・
今の世の中
何でも本とか知識人の言う事でないと
評価されないが
本も知識人も一般論であり間違っている事も多い。
人の書いたものは
それは書いた人の観察であって、その人の感性
自分の目で見て自分の心で感じてないから
だから伝言ゲームではないけど
段々ずれていき最後には全く違うものになっている
看護は心、思いやりから始まると思うけど
最近は違うよね・・・・
ジョジョの看護師はすごいですよ
患者さんの入浴介助で下痢ウンチを失禁した時
患者さんを助けるためにウンチの風呂に入ったんです
それを聞いた時、私は涙が出ました
それでも本人は「すみません」って言うんです
人の下痢ウンチの風呂になんて誰も入りませんよ
それに大概がキャーとか叫んだりして
患者の心を気づつけます
患者の心を傷つける事なく助け出した看護師に感謝です
この看護師も
看花須具看花眼の心で看護していると思います
忙しくなると思いやりが薄れてくる事がある
本当に何時も言っていても
看花須具看花眼で出来ない事がある
中々覚えられないが、この言葉を私の座右の銘にしたいと思った
先日利用者さんの担当医を待つ待合室で
本をめくった。生きる禅語
学の無い私
何の意味かも分からないが
ふと目に留まり
何故かじっくり読みたいと言う気になった
取りあえず借りて来たけど
借りたものは早く返さなければならないから
じっくり見る時間は無いので
この本を買う事にして
2か所の本屋を探したが見つからなかった
3年前の物だそうで
新しい禅語の本には書いてなかった
この言葉に出会う
めぐり合わせだったのだと思う
看花須具看花眼
はなをみるにすべからくかんかのげんをぐすべし
と読むそうだ
私は、この仕事をする前は(サラリーマンNSの時)
色々な趣味の中に書道もしていたので
こんな漢字ばかりの言葉を少しばかり教えられていたが
この言葉は初めてで
どんな意味があるのだろうと解釈を見た
花を観るには花を観る眼を持て
思いやりは観察から始まる
思いやりは観察から始まる(看護だよね)
よく見る事は良く知る事
良く知る事を知識から始めると見える者も見えなくなってしまう
先入観と言う目で見るようになってしまうからだ
しかも,その知識は誰かが観察し研究したものでだから自分のものでは無い
自分のものになっていない知識は知ったかぶりになる。
知ったかぶりは感性を目隠しするからいよいよ真実を隠す
~~~~~~
眼と心で良く見て耳と心で良く聞いていると花の言っている声が聞こえる
~~~~~~
何時もしている私の看護が
この言葉で初めて認められたと感じた
一緒にいた看護師がそれをみて
「これ何時も柴田さんの言っている事ですよね」と言ってくれた
ただ当たり前の事でしかないけど・・・
今の世の中
何でも本とか知識人の言う事でないと
評価されないが
本も知識人も一般論であり間違っている事も多い。
人の書いたものは
それは書いた人の観察であって、その人の感性
自分の目で見て自分の心で感じてないから
だから伝言ゲームではないけど
段々ずれていき最後には全く違うものになっている
看護は心、思いやりから始まると思うけど
最近は違うよね・・・・
ジョジョの看護師はすごいですよ
患者さんの入浴介助で下痢ウンチを失禁した時
患者さんを助けるためにウンチの風呂に入ったんです
それを聞いた時、私は涙が出ました
それでも本人は「すみません」って言うんです
人の下痢ウンチの風呂になんて誰も入りませんよ
それに大概がキャーとか叫んだりして
患者の心を気づつけます
患者の心を傷つける事なく助け出した看護師に感謝です
この看護師も
看花須具看花眼の心で看護していると思います
忙しくなると思いやりが薄れてくる事がある
本当に何時も言っていても
看花須具看花眼で出来ない事がある
中々覚えられないが、この言葉を私の座右の銘にしたいと思った