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Re-Set by yoshioka ko

■「黄長はかく語りき」 第四回

 写真は韓国の新旧大統領。左は金大中前大統領。右は盧武鉉現大統領。 

 金泳三大統領時代までの対北政策が大きく変わったのは、すでに何度も述べているように「太陽政策」の始まりだった。だがこの「太陽政策」には、内外からの厳しい声も上がり始めていた。

 シリーズ『黄長はかく語りき』の今日と明日は、「太陽政策」とその精神を受け継いだ盧武鉉政権の「平和繁栄政策」について考えてみる。

□誤算
 ノルウェーのオスロ市庁舎ホールに集まった千人の招待客の最前列で、〈政治的同志〉とも称せられてきた李姫鎬(イ・ヒホ)夫人が見守るなか、ダークスーツとえんじ色のネクタイで身を固めた大統領は、いつものゆっくりとした口調で演説を始めた。

 「今年(2000年)6月に朝鮮民主主義人民共和国の金正日総書記と歴史的な南北首脳会談を行った。南北は軍事境界線の鉄柵を間に置いて、これまで不信と憎悪のうちに50年間生きてきた。南北関係を平和と協力の方向に変えるため、私は1998年2月に大統領に就任して以来、太陽政策を一貫して主張してきた。われわれの姿勢と太陽政策に対する全世界の支持が北朝鮮の態度を変え、南北の首脳会談が開かれた。われわれ(首脳)2人は民族の安全と和解協力を念願する立場から、かなりの水準の合意を生み出すことに成功した。受賞は光栄であると同時に無限の責任の始まりだ。残りの人生をかけ、韓国と世界の人権と平和、わが民族の和解と協力のため努力することを誓う」(2000年12月10日、ノーベル平和賞授賞式での金大中大統領演説)

 授賞式が行われるちょうど1週間前、演壇から受賞の喜びを語る金大中大統領は76歳の誕生日を迎えたばかりだった。だからということもあったのだろうか、受賞演説では苦難に満ちた自らの人生についてもこう触れた。

 ・・・・1961年5月16日、軍事クーデターによって始まった韓国の独裁政治は、完全な文民大統領が誕生するまで32年間続いた。独裁者らのために自分は5回も死に目に遭い、しかも6年間は獄中生活だった、人生の40年を軟禁と亡命、さらには監視の目に晒されながら生きてきた、このような試練に打ち勝つためには、わが国ばかりか世界の民主活動家の声援が大きな励みになった・・・・。

 自分の人生に重ね合わせてみても金大中大統領にとってノーベル平和賞の授賞は、ひときわ意義深いものだったに違いない。

 金大中大統領がノーベル平和賞に輝いた理由は2つあった。
 メインはいうまでもなく冷戦最後の砦となっていた朝鮮半島で、〈太陽政策〉が功を奏し、初の南北首脳会談を実現させた功績に対してだった。そしてもうひとつは、36年間に及ぶ日本の植民地支配がもたらした憎しみや恨みといった感情を超えて、日本文化の取り入れなど未来志向の日韓関係を築いた、という功績に対してだった。

 だが、ノーベル平和賞受賞理由のメインだった〈太陽政策〉は、皮肉にもこの時期大きな岐路に立たされていた。

 ひとつは韓国国内の景気が低迷しているさなかに、なぜ北朝鮮への食糧援助など大がかりな経済支援をしなければならないのか、という国民の不満や批判。もうひとつは、経済の悪化に比例するかのように冷め始めていた南北の信頼・協力関係。そしてもうひとつが、ブッシュかゴアか、開票をめぐって迷走を続けていたアメリカ大統領選がもたらした米朝関係の足踏み状態だった。

 やがてそれは金大中大統領の〈誤算〉となって顕れることになる。 

 金大中大統領が目指した〈太陽政策〉への誤算は2つあった。ひとつはアメリカにブッシュ大統領が誕生したことである。 

 ブッシュ大統領の外交政策は当初から〈ABC政策〉と揶揄された。その意味は〈Anything but Clinton〉、つまり前政権であるクリントンの外交政策でなければなんでもOKという意味だが、あまりにも杜撰なこの対北朝鮮外交は、クリントン政権下で初めてマデレーン・オルブライト国務長官の訪朝にこぎつけ、米朝雪解けか、と思われた米朝関係をふたたび冬の時代に逆戻りさせたに過ぎなかった。

 そればかりか「9・11テロ事件」を体験したブッシュ政権は新たな〈テロとの戦争〉(注⑧)のなかでイラン、イラクに加えて北朝鮮も大量破壊兵器の製造や輸出、あるいはテロリストを養成しているとして「悪の枢軸」と呼び、先制攻撃の対象国に名指しした。

 このようなブッシュ政権の北朝鮮認識は〈太陽政策〉に大きな動揺とブレをもたらした。そしてアメリカが北朝鮮に対して強硬に出れば出るほど韓国内にくすぶっていた〈反米感情〉の炎は盛り上がり、〈太陽政策〉の前に立ち塞がるのはアメリカだ、とい政治力学が働いた。

 金大中大統領のもうひとつの誤算は、アメリカの強硬策のなかで北朝鮮の秘密核開発の存在が明らかになったことだった。北朝鮮にすれば、アメリカとは瀬戸際外交を繰り広げる一方で、韓国に対しては吹き荒れ始めた〈反米」感情〉最大限に利用しながら、韓米間に緊張感を高めようと考えたのかも知れなかった。

 親米家でもあり金正日総書記とも絶頂期を共有したにも関わらず、この2つの〈誤算〉の間で、金大中大統領は残る任期2年を残しながら、なす術もなく立ちすくむしかなかったのである。(以下第5回に続く)

(注⑧)〈テロとの戦争〉・・・2001年9月11日、アメリカを襲った同時多発テロ事件翌日、ブッシュ大統領は、この同時多発テロは戦争行為であり、これは「自由対恐怖」「正義対残虐」の戦いだ。これからは敵対組織との戦いに全力を挙げる、と表明。10月7日から始まったアフガニスタン攻撃では「テロとの戦争」が始まった、と国民に宣言した。

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