さて今日17日は、大きなニュースが溢れた一日だった。まずなんといっても今日は、阪神大震災の発生から11年目。
いまでもはっきりと思い出すが、当時私はスイスのチューリッヒにいた。取材が終わってホテルに戻ると、フロントの若者が「君は日本人か?」と聞く。「そうだ」と答えると「大変なことが起きた、同情するよ」などという。なんのことか分からず、きょとんとしていると、「なんだ、知らないのか?ホラ、いまもテレビがやってるよ」とロビーのテレビを指さした。CNNテレビが、NHKだかの神戸支局が大揺れに揺れている映像を映していた。
神戸で地震が起きたことを初めて知った瞬間だった。このときCNNが伝えた犠牲者の数はまだ百人に満たないものだった。その日から取材を終えて帰るたびに、私はフロント係りの人に神戸の状況を聞くことが日課になった。一日一日経つごとに犠牲者の数は千人から二千人、三千人と増え続け、仕事を終えてスイスを後にしたときには四千人を超えていた。
スイスからも救援ということで救助犬と共にレスキュー隊が日本に行く、というニュースをキャッチし、その隊員たちと共に帰国しようかと日本に打診したが、いまやっている仕事を優先してくれ、ということで、結局帰国したのは大地震から十日目のことだった。
6千434人が犠牲となった神戸には、その後何度も行った。垂直に見えるものが全くない中で暮らすことの厳しさを知り、耐震強度というものがいかにいい加減なものか、という事例もたくさん知った。日本は地震国、とずっといわれてきているのに、目は関東や東海しか向いていないという地震対策の杜撰さ、も露呈した。
いまや地震は日本のどこで起きてもおかしくない、という認識を阪神大震災が示したのではないか。
にもかかわらず、である。
《以下引用》
「耐震強度偽装事件で、20件以上の偽装マンションを販売していた開発会社「ヒューザー」(東京都千代田区)の小島進社長(52)の証人喚問が17日、衆院国土交通委員会で行われた。ヒューザーを巡っては、姉歯秀次・元1級建築士(48)の構造計算に問題があることを知った後も、マンションの引き渡しや契約を行った疑いが浮上しているが、小島社長は喚問で、「宅地建物取引業法(違反)など、違法性があったという認識はない」と述べた。しかし、ヒューザー側が姉歯元建築士による構造計算書改ざんを知った経緯や、その後のヒューザーの具体的な対応などについては、「刑事訴追の恐れがある」として証言拒否を繰り返し、一切答えなかった」(1月17日『読売新聞』)《引用ここまで》
佐久からの帰路、小島社長に対する証人喚問を中継するラジオをずっと聞いてきた。自民はへっぴり腰、公明は「テレビインタビューでは答えているのに、なぜここでは答えられない」などと悔しさを滲ませたが、いってみれば追求の甘さを露呈しただけ。民主は「答えると刑事訴追の恐れがある」の一点で逃げられた。以下共産、社民、国民は時間切れ。
6千人を超す犠牲者の「無念さ」を二度と繰り返さないためにも、日本はこの11年間、阪神大震災の教訓を胸に地震対策に取り組んできたのではなかったのか。それにしては一民間社長相手に、あの手こずりようでは国会における真相解明は全くの期待薄。
なにかニッポンの全体が劇場型に、がもう一件。
《以下引用》
「東京地検特捜部がライブドア本社などを家宅捜索したことを巡って17日午前、政府・自民党幹部から発言が相次いだ。自民党の武部勤幹事長は記者会見で「誠に遺憾の極みであり、厳正な捜査を望みたい」と語った」(1月17日『日本経済新聞』)《引用ここまで》
ライブドア(堀江貴文社長)が「証券取引法違反」容疑で家宅捜索を受けた事件での自民党幹事長のコメントだが、なんとも白々しい。「刺客」だなんだと騒いだ挙げ句、候補者に祭り上げておきながら、「遺憾の極み」もあったものではない。小泉政治の「限界」を、もう本当に知るべきではないか。
「自己責任」という言葉をそっくり返上したいものだ。
以下の記事は、私たち自身にとって、極めて憂慮すべきだと思う。
《以下引用》
「トルコ保健省は16日、同国東部バンの病院で前日に死亡した少女が、高病原性鳥インフルエンザ(H5N1型)に感染していたと発表した。同国の鳥インフルエンザ感染による死者は4人目で、H5N1型ウイルスの感染者は、すでに亡くなった4人を含め、計20人となった」(1月17日『CNNニュース』)《引用ここまで》
日本でも、茨城県の養鶏業者の間で〈H5N2型〉という〈N1型〉より弱いウィルスに感染した事例が報告された(本来ならば、これとて発表すべきことである)。オオカミ少年になるつもりはないけれども、徐々に鳥インフルエンザの脅威は迫ってきているのではないか。
いまはまだ〈トリ→ヒト〉の段階である。そのウィルスがいつ変異し、それが〈ヒト→ヒト〉に感染するのかは誰も予測できない。しかし、アジア、中央アジアでの「拡がり」を注視していると、私たちの周りでの対策は十分なのか疑わしい。
なんといっても、外から帰ったらまず「手を洗い、うがいをする」。
さて、もうひとつのニュース。
最高裁小法廷で今日、宮崎勤被告に「死刑」判決が出た。精神鑑定の必要性などが叫ばれたが、裁判長としては、4人の幼女が犠牲になるなど社会的な影響を考えれば、精神鑑定などによる判決の左右は念頭にはなかったと思われる。
新聞が「総まとめ」をしてくれている。
《以下引用》
「上告審では、1、2審に続き、犯行当時の宮崎被告に完全な責任能力が備わっていたかが最大の争点となった。1審・東京地裁での精神鑑定は、〈1〉極端な性格の偏りはあったが精神病の状態にはなく、責任能力は完全〈2〉多重人格を含む精神病で、責任能力は限定的(心神耗弱)〈3〉統合失調症で心神耗弱――の3通りの結論に分かれていた。
刑法は、心神耗弱の場合、刑を軽減すると定めている。1審判決(97年4月)と2審・東京高裁判決(2001年6月)は捜査段階の自白などを根拠に、完全責任能力を認めた鑑定を支持した。弁護側は上告審で、「拘置所で精神病治療の投薬を継続的に受けており、犯行時も精神病だったのは明らか」と主張。自白調書も違法な取り調べによるものだとして、審理を高裁に差し戻して再鑑定するよう求めた。しかし、判決はこれを退けた。
前例のない異常な犯罪として社会を震撼(しんかん)させた事件は、最初の発生から17年5か月を経て、死刑が確定する」(1月17日『読売新聞』)《引用ここまで》
揶揄するつもりは全くない。
だが、「前例のない異常な犯罪として社会を震撼(しんかん)させた事件」を裁くのに17年。宮崎被告には死刑判決が出た。しかし、この間にいったい何人の子供たちが犠牲になったのか。
今日一日のニュースが出す答えは、「さまよえるニッポン」である。
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