11月22日の昼間、広島市で起きた小1女児殺害事件は、登下校時の子供たちの安全をどう考えるのか、ということを、またまた考えさせられる。またまた、というのは、事件が起きるたびごとに大きな社会的な問題になりながら、のど元過ぎれば・・・で、この手の事件に対する安全策に、なかなか進歩が見えないからだ。
捜査本部の調べにもかかわらず26日時点では、まだ犯人を特定するに至っていない。
《以下引用》
「下校途中だったあいりちゃんは22日午後0時40分ごろ、同級生の男児に目撃された後、午後3時ごろ、安芸区内の空き地でプロパンガス用こんろの段ボール箱に入った遺体で見つかった。死亡推定時刻は午後1時から2時の間で、死因は頸部(けいぶ)圧迫による窒息死だったが、着ていた制服には目立った汚れがなく、土や草なども付着していなかった。現場の空き地周辺には、草が倒れるなど女児が襲われたとみられる場所もなく、犯行時刻前後、女児の叫び声などを聞いた住民らもいないという。周辺は住宅地だが、住人が亡くなるなどして空き家も多く、無施錠の建物もある。これらの状況から捜査本部では、女児は空き家などの屋内か車の中で殺害されたとの見方を強めた」(11月27日『日刊スポーツ』)《引用ここまで》
犯行が昼過ぎだった事を考えれば、付近の人たちは昼食の片づけや、あるいは昼寝に向かう時間だったのかも知れない。いずれにしても、あいりちゃんが通い慣れた道や空き地は、人が絶えた状態だったのだろうと推測がつく。
今年初め、佐久市野沢でも小学校に通う子供がナイフで傷つけられるという事件があった。そのとき、学校は学校で「怪しい人」について子供たちに言い聞かせ、行政は行政で「怪しい人」を見たら通報してくれといったようなことを広報し、地域は地域で「怪しい人」に目を光らせる、こうして子供たちを犯罪から守りましょう、というのがせいぜい落ち着いた先だったが、そのとき私はこんな提言をした。
つまり、学校と地域は、学年ごとの子供たちの下校時間について密接な情報を交換しながら、その時間帯にあわせて地域の老人たちが散歩をしたらどうか、というものだった。
高齢者人口がどの地域でも多くなるなかで、高齢者の方々に自分のお孫さんのような気分で、子供たちの安全を守るという役目をしていただく。朝や夕におこなっていたこれまでの散歩を、子供たちの下校時に時間をずらしてお願いする。こういうことが日常的に行われるのであれば、学校と地域、地域と子供たちとの間で新しい関係もできるだろう、と思ってのことだった。
だがいま私はあらためて思う。
学校と地域、地域と子供たちとの間での新しい関係以前に、誰が、そしてどこが「怪しい人」なのか、その認識が全くバラバラなのではないか、ということだ。サングラスをしてマスクをかけた人、という一般的な「怪しい人」イメージは、実は違うのではないか、ということだ。これでは怪しすぎる。私は「怪しい人」ですといって歩いているようなものだからだ。
学校や子供たちにとって「怪しい人」とはどのようなイメージなのか、地域の人にとって「怪しい人」とはどのようなイメージなのか、学校と地域と子供たちとの間に横たわる情報のギャップを、埋めていくことも急務ではないか、と思う。またまた事件が起きてからでは遅いからだ。
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