01年秋に、アメリカが「テロとの戦争」として始めたアフガニスタンでは、当時の統治者タリバンは、アメリカの中枢を狙った同時多発テロ事件の容疑者であるウサマ・ビンラディンと彼の組織アルカイダのメンバーを匿っている、という口実で掃討された。
ことアメリカを標的にした同時多発テロ事件に関して、タリバンとアルカイダとの間に緊密な関係があったという鮮明な証拠が挙がっているわけではないが、国際世論はそういうことだろう、と容認した。
しかし、実際にアフガニスタンで取材をしてみると、アメリカへのテロ事件との関係はともかくとして、アメリカ軍と連合を組んだ北部同盟がタリバン放逐後の首都を制圧したことに対して、市民の間にわき上がった「感情」は、タリバン時代のほうが良かった、というものだった。
理由は、タリバンは布告などで音楽やテレビ・映画など西側の文化とされたものに対してはかなり厳しく制限したが、一方で、盗みは手足の切断、殺人は首切り、と刑事罰に相当する犯罪にも厳しく対応した。そんなところから、街には安全が保たれ、それが市民をしてタリバン時代のほうが良かった、といわせたのだった。
イスラム原理主義の功罪ではあるが、その国の人びとが、それでいい、となれば、他国が干渉すべきことではない。だが、アメリカは、ビン・ラディンとその一派を匿ったという口実で、イスラム原理主義を葬り去った。
開戦から5年以上が経ち、アフガニスタンでは旧タリバン勢力などが息を吹き返しつつある。アメリカなどに支援されたカルザイ政権が実行支配している地域は、首都カブールだけである。そこにもイスラム原理主義の波は押し寄せてきた、という。カブール市民が心からとは言わないまでも、容認する背景がなければ出来ないことでもある。
さて、ソマリアのことである。91年に独裁政権が崩壊し、内戦に陥ったが、04年には暫定政権が発足、しかし去年6月には「イスラム法廷連合」(UIC)が首都及び南部地域を掌握し、現在に至ってきた。
映画「ブラック・ホーク・ダウン」でも描かれたように、ソマリアは内戦に追われたアフリカ典型の失敗国家である。アメリカも国連の平和構築案も結局失敗したのだった。
15年続いた内戦を一段落させ、首都モガジシオなどを押さえたUICは、これまで治安の回復など実現不可能とまでいわれてきた国に秩序をもたらした。タリバンと同じように、一方では強権的な司法制度や西側的な自由を抑圧するものを併せ持ってはいたのだが・・・。
しかし今年早々、このソマリアに対して隣国エチオピア軍が侵攻、首都からUICを追い出した。アメリカのブッシュ政権は、エチオピア軍の侵攻を黙認したばかりか、UICはアルカイダのメンバーを匿っているという理由で、逃げるUIC勢力に対して空爆までやってのけたのだ。
ソマリアの国民は戸惑っている、というニュースが流れてきている。それは、エチオピア軍の侵攻によって復活した旧政権の登場を喜ぶべきか、それとも規則は厳しいが、治安が保たれてきたUICの掃討を嘆くべきか、その狭間にあるというのだ。
テロとの戦い、が前提とされる以上、こういう攻撃はこれからも続くのだろう。だが、アメリカやその同盟軍が行ってきた「テロとの戦争」は、アフガンやイラクのその後を見るまでもなく、失敗である。その失敗をまたエチオピアとアメリカはソマリアで繰り返した、といわざるを得ない。
イスラム原理主義を「敵」と見る以上、掃討は続く。それがまた原理主義をさらに増長させる。当たり前の理屈でもある。これからはそうではない原則を見つけるべきときではないか。ブッシュさんも懲りない性分だなとつくずく思う。
昨日、アメリカから帰国、時差ボケが残る頭で書いてみた。
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