さて、連載してきた『黄長はかく語りき』は、お休みにします。今日は「共謀罪」法案と並んで自公政権が今国会での成立を目指し、審議が始まった「教育基本法改正案」の特に「愛国心」について考えてみたい。まずは以下の記事から。
《以下引用》
「終盤国会の焦点となっている教育基本法改正案は24日午前、小泉純一郎首相と関係閣僚が出席して衆院教育基本法特別委員会で総括質疑が行われ、実質審議入りした。(中略)「愛国心」をめぐり「我が国と郷土を愛する(態度を養う)」とした政府案と、「日本を愛する心を涵養(かんよう)」とした民主党案について、小泉首相は「それほど大きな違いがあるとは思わない。十分審議していただければ、共通の認識を持てると期待している」との認識を表明。また政府案の「愛国心」に関する表現が、子どもの内心の自由を侵すとの懸念に対し、小坂憲次文部科学相は「伝統や文化について進んで調べたり、学んだことを生活に生かそうとする関心、意欲、態度を総合的に評価するもので、子どもたちの内心に立ち入って評価するものではない」と改めて強調。学習指導要領への反映について「基本的に大幅に変更するものではない」と述べた」(5月24日『毎日新聞』)《引用ここまで》
まず小坂憲次文部科学相が述べた、「子供たちの内心に立ち入って評価するものではない」という答弁は信じないほうがいい。こういう言葉は、いつかも聞いた言葉だ。そう、国旗・国家法案が成立したときに、ときの有馬文部大臣もそう答え、野中幹事長もそう答え、故小渕首相もそう答えた。
だがいま、知らぬ存ぜぬを決め込んでいるが、東京都や広島県、福岡県などの教育委員会では、歌わぬ教師や教えぬ教師に対して、「職務命令違反」という方向からすでに処分を行っている。
従って「愛国心」もまた強制はしない、といいながら、いつかはそうなっていくことはもはや自明のこと。「愛国心」というものは本来強制しなくても芽生えてくるものであろう。それを教育基本法の精神として盛り込むのならともかく、目標として盛り込むことには違和感がある。なぜなら、その目標が守られないと、どなたかが判断したとすれば、次に起きることは「処分」しかない。
さてその「愛国心」である。自公案は「我が国と郷土を愛する態度を養う」を教育の目標に掲げ、一方、民主党案は全文に「日本を愛する心を涵養」という言葉を盛り込む。「目標」と「全文」では違うし、「養う」と「涵養」でも意味合いは随分違う。
「養う」は面倒をみる、飼育する、といった直接的な意味合いのほかに、鍛錬して少しずつ作り上げる、といった意味もある。どこか一段偉そうな人物がいるようなニュアンスだ。
一方の「涵養」は、水が染みこむように、少しずつ自然に養い育てていくこと、だと解説されている。(言葉の意味はいずれも『大辞林』から)
似たような意味だ、といわれればそのようであるし、養う方が涵養よりも偉そうだ、といわれれば、そのようでもある。問題は、言葉の解釈から来る自公対民主をいいたいのではない。もっと現実的なことだ。
日本を愛する、にしても、郷土を愛するにしても、愛する日本や郷土はあるのか、ということである。
例えば、「平成の大合併」だが、国にはカネがない、交付税もなくなる、だから特例債が効くうちに合併だ、合併だ、という政府の大号令の下、財源不足に悩むほとんどの市町村は合併していった。中には首長の、是が非でも10万都市を造るんだ、という「名誉欲」だけで合併に応じていった町村もあった、と聞く。
いずれにしても、どのようなケースであれ、本当の意味でのいい合併となった市町村はない、といってもいいくらい、本来の目的を失った合併が今回の「平成の大合併」だった。
その結果、どうなったか?愛していたはずの郷土色は急速に薄れていった、ということではないか。地域の行事や祭りは年々規模が縮小され、いつかはなくなるかも知れない危機の中にある。より大きな、財源もある市や町と合併すれば、おらが村もいまよりは楽になるはずだ、と信じたがっていた心も、合併したいま粉々に砕け散る、という思いをしている方々も多いのではなかろうか。
このように、失われた郷土色から果たして郷土愛は生まれるのであろうか?効率性だけを求める政府の、いうがままに合併に突き進んでいった結果、いま郷土にはどのような風が漂っているのだろうか。自然発生的に郷土愛を育む土壌が失われつつある中で、愛国心だ、郷土愛だ、といっても何を拠り所にそんな心が芽生えるというのだろうか。
国に国を愛することとはどういうことかを真に考え、国の行く末についての哲学を持った政治家がいて、郷土に郷土を真に愛する行政があり、郷土の良さを生かすことが郷土愛を育み、ひいては郷土を生かすことだという哲学を持った人物が出ない限り、「我が国と郷土を愛する態度を養う」ことも「日本を愛する心を涵養する」こともできない、と私は思う。
将来の日本のためにも、残り期間内に審議し、本会議にかけて採決しようなどと考えないほうがいい。なんといっても国民がいま改正を求めているわけではないではないか。慎重に!慎重に!である。
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