母方の墓参のため、7:30発札幌JAL便に乗り、9:00すぎに千歳空港到着。
レンタカーを借りて出発、今回の旅の足はマークX。
10:00前に沼ノ沢駅前に到着した。
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かつて沼ノ沢から真谷地までは専用鉄道が敷かれていた。沼ノ沢駅から、東方の真谷地炭鉱までの4.4kmを結んでいた北海道炭礦汽船の専用鉄道である。真谷地炭鉱の閉山に伴い、1987年に廃止された。沼ノ沢駅の構内もかつては大変に広かったと思われる。今は一日に数本のディーゼルカーが通るだけである。
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Aコープで墓参用の花などを買い、沼ノ沢駅舎を利用したレストラン「おーやま」で昼食。夕張特産の長芋をつなぎに使った長芋ハンバーグを食べた。
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その後、真谷地踏切を渡り、真谷地の祖父母の墓に墓参。
市営墓地は、「六区」のあたりにある。
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真谷地では、炭鉱労働者の住んでいる地域を一区、二区、三区というように区で分けていて、六区のあたりには比較的に新しい、しかし空き屋の多い市営住宅が並んでいる。
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車を持っていない六区の住民の足は夕鉄バスである。
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真谷地市街地のほうにも行ってみた。市街地というのは、文字通り地名が「市街地」なのである。
今では「市街地」といっても十数戸が残っているばかりで空き家と空き地ばかりになっているが、真谷地炭鉱の最盛期は、ここが真谷地の目抜き通りであった。大正時代から開けてくるようになり、大通りと裏通りの2本の道の両側に商店が密集していた。規模はさほど大きくなかったとは思うが、花柳界もあったという。
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夕張は、蛇行する夕張側に沿うようにして、わずかな川岸の平地に市街地が散在する。真谷地市街地も、2本の道に併行して片側は深い崖、反対側はかなり傾斜のきつい山になっている。
この真谷地の市街地は、昭和27年の大火で全焼してしまう。
夕張市の「消防年報」によれば、このときの焼失戸数121戸、死者1名とあるので、この狭い2本の通りの両側に100戸以上の建物があったことが分かる。祖父の家は裏通りにあり、隣は大工の棟梁の家だったそうだが、このときの火事ですべて焼けた。祖父は隣家の棟梁に頼んで家を建て直すが、この大火を境にして、真谷地市街地の衰退が始まっていったようだ。
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googleマップでこのあたりを大きく拡大すると、三浦商店という店があることがわかる。
http://maps.google.co.jp/maps?q=%E7%9C%9F%E8%B0%B7%E5%9C%B0%E7%94%9F%E6%B4%BB%E9%A4%A8&hl=ja&ie=UTF8&ll=42.969585,142.059437&spn=0.001494,0.003433&sll=42.969517,142.059757&sspn=0.001446,0.003433&vpsrc=6&brcurrent=3,0x5f74bf117e9994d1:0x318b16e2b7a54fbd,0&t=m&z=19
この三浦商店は、86歳になった伯母の同級生の三浦さんの店。伯母は「れいちゃん」と呼んでいた同級生が細々と店を守っていたが、今年の春に亡くなられたそうである。
レンタカーを借りて出発、今回の旅の足はマークX。
10:00前に沼ノ沢駅前に到着した。
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かつて沼ノ沢から真谷地までは専用鉄道が敷かれていた。沼ノ沢駅から、東方の真谷地炭鉱までの4.4kmを結んでいた北海道炭礦汽船の専用鉄道である。真谷地炭鉱の閉山に伴い、1987年に廃止された。沼ノ沢駅の構内もかつては大変に広かったと思われる。今は一日に数本のディーゼルカーが通るだけである。
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Aコープで墓参用の花などを買い、沼ノ沢駅舎を利用したレストラン「おーやま」で昼食。夕張特産の長芋をつなぎに使った長芋ハンバーグを食べた。
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その後、真谷地踏切を渡り、真谷地の祖父母の墓に墓参。
市営墓地は、「六区」のあたりにある。
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真谷地では、炭鉱労働者の住んでいる地域を一区、二区、三区というように区で分けていて、六区のあたりには比較的に新しい、しかし空き屋の多い市営住宅が並んでいる。
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車を持っていない六区の住民の足は夕鉄バスである。
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真谷地市街地のほうにも行ってみた。市街地というのは、文字通り地名が「市街地」なのである。
今では「市街地」といっても十数戸が残っているばかりで空き家と空き地ばかりになっているが、真谷地炭鉱の最盛期は、ここが真谷地の目抜き通りであった。大正時代から開けてくるようになり、大通りと裏通りの2本の道の両側に商店が密集していた。規模はさほど大きくなかったとは思うが、花柳界もあったという。
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夕張は、蛇行する夕張側に沿うようにして、わずかな川岸の平地に市街地が散在する。真谷地市街地も、2本の道に併行して片側は深い崖、反対側はかなり傾斜のきつい山になっている。
この真谷地の市街地は、昭和27年の大火で全焼してしまう。
夕張市の「消防年報」によれば、このときの焼失戸数121戸、死者1名とあるので、この狭い2本の通りの両側に100戸以上の建物があったことが分かる。祖父の家は裏通りにあり、隣は大工の棟梁の家だったそうだが、このときの火事ですべて焼けた。祖父は隣家の棟梁に頼んで家を建て直すが、この大火を境にして、真谷地市街地の衰退が始まっていったようだ。
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googleマップでこのあたりを大きく拡大すると、三浦商店という店があることがわかる。
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この三浦商店は、86歳になった伯母の同級生の三浦さんの店。伯母は「れいちゃん」と呼んでいた同級生が細々と店を守っていたが、今年の春に亡くなられたそうである。